2016年1月1日金曜日

第440話 最終回 ご挨拶 

いよいよにして、ブログ”ROMAの麗雅都だより”を終了するに際しまして、
ご愛読頂きました全国の皆皆様にご挨拶を申し上げます。

さる2011年9月からスタートしました”ROMAの麗雅都だより”は、回を重ねて440回を迎えました。私自身もこれ程続けられたことに驚く次第です。

とりわけ、今年は自分で申しますのも恥ずかしい限りですが、製作意欲が衰えずにここまで来ることが出来ました。

毎年1回位は、P/Sのトラブルが起こったり、スランプに陥ったりしました。
しかし、読者の皆さまからの激励を受けて、何とか目標の2015年大晦日
まで続けることが出来ましたこと何事にも替え難い喜びでございます。

遅まきではございますが、各話題の中、文章に誤字脱字があったり、文脈に乱れがあったりしたかも知れず、今に至っては取り返しも着かずにただただお詫びを申し上げる次第でございます。

最初から、ブログ構成としまして①文章②写真③吾伊句(季語にこだわらない5・7・5の句)3部構成を旨として作成して参りましたが、今月途中から、②の写真添付が技術的に困難に陥りまして、①と③にてし上げざるを
得ませんでした。衷心よりお詫び申し上げます。

以前にも掲載しましたから、ご記憶の読者もいらっしゃるかも知れません。
この4年以上に亘るブログ作りのお陰で、ローマと言う街(都市)を随分と見聞することが出来ました。私の良い思い出になりましたし、多くのローマ人(イタリアーニ)とお話しもする機会に恵まれました。

7大丘巡り、7大聖堂巡りなど、あの灼熱の中地図を片手に、ペットボトルを小脇に抱えてトボトボと歩いたことが、今では懐かしく想い出されて参ります。

シチリア旅行でのヴィンチェンツオ・ラグーザの彫刻との出逢い(2013年9月)は、とりわけ鳥肌が立つほどの感動感激を体中に受けました。

想い出させば、切りが無いほどです。
歩き通した4年半でした。表現に方法が見つからないのですが、
「ローマ病」にとりつかれた4年半でした。

本当に得難い体験を数多く出来ましたのは、何度も申し上げますが、
ブログという発表の場があったからです。

ブログ作成を勧めて下さった友人、ブログを設定してくれた次男、そして
いつも愉しみにご覧頂いてくれました皆々さまへこころから御礼申し上げます。有難うございました。

イタリアもあと30分程で、新年2016年を迎えます。
元鷹も新しい道を探して、新春1月に帰国致します。

読者の皆さまと国内の何処かですれ違うことが在るかもしれません。
その時には、是非ブログをご覧頂いた寸評などお聞かせ戴けましたら、
大変嬉しく存じます。

今、この時間、真夜中にも関わらず爆竹が、バン・バンと鳴り響き新しい年の近いことを知らせております。

新しい年2016年が、読者の皆さま方にとりまして、一段と実り多い年と
なります様にご祈念しつつ、ブログ”ROMAの麗雅都だより”の幕を
ズズイーと下ろさせて戴きます。

皆さま、どうぞ良い年をお迎え下さいませ!
こころからの感謝をこめて。


        ローマにて 喜怒哀楽の 大晦日

        年の瀬や 何はともあれ 大晦日


        来る年も 生きる喜び おのが手で

                          元鷹

2015年12月31日23;50
  ※イタリア時間

   元鷹気涯

追伸 お願いです。
    ご愛読頂きました皆さまから、真にお手数ではございますが、
    率直なご意見・アドヴァイス等、戴けましたら嬉しく存じます。
    どのような内容でも結構でございますので、下記の元鷹の
    メイル・アドレス宛てにお寄せ戴けましたら幸甚です。
    どうぞ宜しくお願い致します。ご愛読真に有り難うございました。
    (無記名、記名ご自由です。) 

                  alibianca313@gmail.com

            元鷹 宛て
     それでは、お待ち致しております。
                                     以上

2015年12月31日木曜日

第439話 サムアップ Di Roma その10 お便り

とうとう2015年12月31日(木曜日)、本年の大晦日を迎えました。
そして、既にご案内のようにブログ”ROMAの麗雅都だより”の最終便を迎えることとなりました。

最終月の千秋楽・大晦日です。
12月は、サムアップと題しまして、10のテーマを取り上げることにしましたが、ラスト・テンのお題目は、”お便り”です。日本を離れて生きる私、または数多くの在外に生きる日本人、否何処の国の人々にとりましても、関心度の高いテーマなのではないでしょうか。

便りの代表格として、私たちが学んだものに次のものがありました。
     「一筆啓上火の用心おせん泣かすな馬肥やせ」
江戸時代の侍ホンダなにがしが留守宅の妻宛てに書いたものでした。
短文で要件を満たした手紙であることに間違いありません。

先ずは、1.火事に注意せよ!そして愛娘おせんを2.しっかり養育せよ!最後に3.侍にとって大切な馬について3.縷々大切に世話をせよ!
と伝えています。※解釈は、元鷹流に咀嚼したものです。悪しからず。

良く見れば、この短文は7・6・7・5のリズムになっていて発音上のゴロが良いですね。一度覚えてしまうとしっかりと記憶に残るものです。

ところで、ローマに居りまして、胸がワクワク・ドキドキするものの筆頭格は
私にとりまして、さぞかし多くの同朋にとっては”便り”(封書・葉書)であります。仕事が終わって家路に着いた時に、”便り”を発見したときの嬉しさは格別です。

今日では、電子メールという真に便利な機器が好まれて世界の人々に使われています。一瞬時に情報が届いてします。ペンを取って、便箋を出して、切手をはる必要も有りません。しかも、タダ同然です。

そして、このブログ自体も電子メールと同様ですから、真に偉大なる発明発見です。

しかしながら、私にとりましては手書きの便りに優る情報交換は在りません。ペン、用紙、封書、切手、そしてインクの文具品は常に私を勇気づけてくれております。書く、という行為は相手をイメージしてこころを込めて
成されるもの。

こころの準備として、必要とする「間」も大切です。
手書きの便りには、そのような手順が問われるから、きっと好んで手書きの便りを創造すること、一種の小さな作品だと考えています。

         
             惜しむらく 今日が最後か 大晦日
             嬉しくもあり 寂しくもあり

                                元鷹

2015年12月29日火曜日

第438話 サムアップ Di Roma その9 無いものネダリ

今年2016年も残すところ、今日を含めて3日間となりました。
先日、ヴァチカン市国の郵便局へ出掛けて参りました。

ところが、局も広場の左側に常駐しています販売店もしまっていましたから、用を足すことはかないませんでした。なるほど、出かけた日はサント・ステファノの祝日でした。

大聖堂の広場には、海外から多くの観光客が、大聖堂への入場をめがけて列をなしていました。

12月8日に聖なる扉が開けられた訳ですが、この扉を潜(くぐ)る為に態々世界の各地からヴァチカン市国へ来る人々の大変さを思えば、ローマに住んでいる私などは、直ぐにでも駈けつけられそう思われるかもしれません。

25日には、4大聖堂のサン・ジョバンニ・イン・ラテラーノに立ち寄って、「聖なる門」を初めて潜ってみました。やはり此処でも、警備体制が敷かれて、入場時間が掛かりました。聖なる門は、まさに狭き門でもあるのです。

さて、今日のサムアップの話題は、「無いものネダリ」であります。
私は、時々まるで子供のように”無いものネダリ”をすることがあります。
勿論、ねだる相手は自分自身で、ねだるものは日本のものです。

例えば、ローマでは中々食べることが出来にくい「ざるそば」、「かつ丼/天丼」はじめ日本では普段に食べていたものばかりです。しかし、日本レストランへ行けば、食べられるものばかりですから、何と他愛ないことであります。

生活に不可欠な食べ物ばかりではありません。
頭の栄養滋養になる書籍についても同様です。日本では、傍らに在っても目を通さなかった本をここにいて、にわかに読みたくなることがあります。

無いものネダリとは、叶わぬことを欲すること、或は現実離れしたことをしたがる欲求である、と言い換えても良いかも知れません。

しかし、また若き頃を想い出しますと、目の前の宿題を放り投げて、好きな小説に時間を費やしてしまう逃避行為に似ていないだろうか、とも思えるるのです。

まあ、残されたローマの生活では、無いものネダリを棚に挙げて、ローマにだけしかないもの、特有のモノにこだわって楽しんでみたいと思います。


             日本離れ 無いものネダリ 頻繁に
                               元鷹

2015年12月25日金曜日

第437話 サムアップ Di Roma その8 郵便局について

クリスマスの今日のテーマには、持って来いのお話しをしたいと思います。クリスマス・カードを書いて、ポストに入れる時などワクワク感があって密かに嬉しいものです。

私は、子供の頃から郵便局が好きで切手、ハガキを良く買いに出かけた経験を想い出します。さて、ここローマの郵便局事情をひとつ。

”待たされる”のが、ローマの郵便局の一大特長なのです。
切手一枚買うのにも10分から30分も待たなくては購入出来ないことが在ります。次に観察の結果を書いてみます。

1.窓口に係員がすくない。
2.おしゃべりが多く、そして長い。
3.一人あたりにかける(接客)時間が長い。
4.システム(仕事手順)が悪い。
5.正確・迅速に仕事する姿勢がない。

といった悪さ加減であろうか?
郵便局にお世話になりながら、この様にリストアップすることに恐縮してしまうのですが、全く実感ですから致し方ありません。

例えば、切手購入を希望しますと窓越しの係員は、後ろのドアを開けて隣の部屋へ行き、切手を持ってくるのです。私が通う局だけではありません。殆どの局は、このようにしているのです。

切手は、かつてタバコ屋さんで購入出来たのですが、現在は殆どのお店が販売しておりません。雑貨屋さんに行けば、購入できる場合も有りますが、扱いが無いことも多く全く持って不便な限りです。

ですから、私の場合には朝早く局へ行って、まとめ買いするようにすることもございます。

もうひとつ困ったことには、切手の価格がいつの間にか、ドンドン値上がりしてしまうことであります。この4年半年間でも3~4回くらい値あがっています。現在、日本まで2.20ユ-ロですから、およそ300円超です。

因みに、日本からハガキでローマまで70円、封書で110円程ですネ。
ですから、葉書の場合4倍以上の価格差があるのです。

また、面白いと言いますか”良く分らない”のは、葉書と封書の切手代金は変わらないのです。勿論、封書は中身が増えれば、重さが増えますから、比例して高額になる訳です。

思わずに”良く分らない”と書いてしまいましたが、ローマに居りますと、この言葉を何度も使用せざるを得ない代表的な口癖が、”良く分らない”であります。

この郵便局事情のこと、”良く分って欲しい”と願っております。


            切手買う 待つ楽しさや 何処にやら
                               元鷹

第436話 サムアップ Di Roma その7 「時間」について

今日は、12月25日(金)ですから、クリスマスであります。
イタリアは、祝日休暇です。また、明日の26日(土)は、サン・ステファノ野日でありますので、同じく祝日です。翌日は、日曜日ですから3連休です。

今日は、”時間”について書いてみたいと思います。
一般的にイタリア人は、時間にルーズ(ゆるい、気に掛けない)であるようにに思われている節があります。

では、実際ローマの人達と仕事したり、お付き合いしている中で、感じる処を述べますと、やっぱり「ルーズである」と言えます。あくまで一般的なことですから、時間に厳しい人もいる訳ですが。

ここでイタリア人の時間管理のことを書いても余り興味を寄せられませんから、止めて置きます。但し、反対に時間の大切を人々に啓蒙したのは、イタリア人の先達でありますラテンの詩人ホラティウスであります。

Quintus Horatius Flaccus 紀元前65年-同8年 南イタリア生まれ
有名な警句/格言ですが、
CARPE DIEM  カルペ ディエム
この日を掴め 次の日に信を置いたりせずに

”カルペ・ディエム”のお話しはこれまで何度か申し上げて参りましたのでこの辺で止めて置きます。

そもそも私たち人間/ひと は時間の点から、考えますればLIMITA
(有限時間)の中で生きているわけですから、本能的に生きる時間のことを気にしているのでしょう。

プラトンもソクラテスも孔子も、2000年前以上にどう生きるか?如何に生きるか?を考えた訳ですから、大変なことであります。これらの大思想家たちが、時間をどのように考えたのか関心がありますが、未だ残念ながらその説に当って居りません。

時間と言うとらえようもない宇宙の中、私たちは生きている、否、生かされている訳です。上記の”カルペ・ディエム”の教えるところは、希望することがあれば、即実践せよ!ということなのかも知れないと最近思うようになりました。

日本でも古来より、”時を惜しめ”と言った戒めは存りました。人は、時間的有限の中で生きていることが、自覚出来た時にこそ、自分のおもいを実践するスタート/タイミングである、と思う次第です。

ローマ滞在中、街角で偶然出会ったこの”CARPE DIEM”と言うラテン語は、私に”時間”を考えさせてくれる起爆剤になったことだけは事実であります。

それにしても、不思議なモノ、その名は「時間」であります。


           ローマにて 時間の不思議 噛み締める
                                 元鷹     





第435話 サムアップ Di Roma その6 トイレ

フランチェスコ法王は、今年12月8日から来年11月までのおよそ1年間を聖年とは宣言(本年春)したわけですが、12月8日はサン・ピエトロ大聖堂の聖門(ポルタ・サンタ)が法王に依って開かれました。

また、続いて12月13日(日)には、4大教会のサン・ジョバンニ・イン・テラオとサン・パオロ・フィオリ・レ・ムラ聖堂の聖門が開かれたのです。
最後にサンタ・マリア・マッジョーレ聖堂が、カポ・ダンノ(元旦/深夜)に開門されるそうです。

皆さまご存知のように本来は25年毎(中世紀には、100年、50年毎だったようですが)に聖年は行われるようですが、前回は2000年だったので、未だ10年先の2025年が本来だったように思われるのですが、今年2015年に行われました。

私の住むVia Calatafimi(カラタフィーミ通り)から、サンタ・マリア・
マッジョーレ聖堂は、徒歩15分程度ですから、元旦に行って見てみたいものです。

お話はタイトルの「トイレ」に戻ります。
イタリアのトイレ事情は、余り良い状態であるとは言い難いものがあります。世界から来た旅行者は困惑しているのではないでしょうか!

ここでは、如何に快適に「用」が足せるか?という実用的なことに的を絞りたいと思うです。

☆実際と対応方法などについて
A.レストランやバールのトイレ
  殆どの場合、便座が外されています。長くローマ居りましても、どうして か不明です。従いまして、お尻を付けないような恰好で用を足すほかありません。足腰の訓練にはなるかも知れませんが? 

B.観光中にトイレを探さなくてはならない場合
  先ずは出掛ける前にホテルで用を済ませておくことが前提です。
しかし、それでもトイレは必要になります。団体旅行であれば、添乗員・ガイドさんらが、親切にアドヴァイスをしてくれることでしょう。

中々公衆トイレは、無い訳ではありませんが、発見することが難しいと思います。一般的には、BAR/バールを利用します。(BARのことは既にご紹介していますが)

○借用する時のお願いの言い回し
 
 ブォンジョルノ!イル・バーニョ、ペル・ファヴォーレ?
  こんにちは!スイマセン、おトイレを貸して下さい?

 ※この表現は、旅行本には殆どの場合記載されているはずです。
   直ぐ使えるように目印を付けておくと良いでしょう。

C.有料トイレの場合
  金額は、0.5から1€が相場であります。
  小銭コインを常に携帯する必要が在る訳です。

  大別すれば、係員がいて0.5ユ-ロほどを渡すケース、或は自動ドア入口にコインを入れて入場できる仕組みとになります。
有料だけあって、トイレの清掃は行き届いているのが通常です。

おおよそは、以上のことが語っている通りですが、いろいろなケースがあるかと思われます。何事もあわてずにBARの、またはレストランの係員に率直に相談してみて下さい!

トイレは、整備されていなことがあっても、そこに働く係の人達は意外と親切で、頼りになることが多く有りますから、余り心配しないでください。


           バーニョとは 俺のことかと トイレいい
                               元鷹

2015年12月23日水曜日

第434話 サムアップ Di Roma その5 相違を愉しむ

今年も余すところ今日を含めて10日となりました。
毎年毎年越年の頃に前においては忘年会、後においては新年会を楽しんで参りましたが、今年は少し変わったカタチで歳末を楽しんでいます。

ローマで親しくお世話になった方々と席を挟んで来し方の想い出を語り懐かしんでおります。ローマ滞在は、1カ月を残すのみとなりました。

さて、本日のテーマは「相違を愉しむ」であります。
少々判りにくいタイトルではあります。

一口で申しますと、日本とイタリア、お米とパスタ、(アメリカン)とエスプレッソ、日本語とイタリア語、右側通行と左側通行、握手とイタリア式キッス、切りがありませんからこの辺で。

ローマは、コロッセオが象徴しておりますように真に”グランデ”(巨大である)なのですね。表現が難しいのですが、抽象的ですが”全てを飲みこむ”
と言ったら良いでしょうか!

兎に角、ここに存る空気は「懐(ふところ)が大きい」のです。

さて、このような空の下、今回4年と半年を過ごさせて戴き、思いますのは
タイトル書きの如く”相違を愉しむ”こころを大切に!とアッピールしたいと思うのです。

日本の便利さは、ローマでは得難いものになります。ローマは、近代的便利さを求めにくいところではあります。

しかし、日本のストレスは此処には在りません。
逆に、ローマ特有のストレスはありますから五分五分です。

ただ、その五分五分の中身が違います。
ローマのストレスは、人に依って違う訳ですが、時間の経緯と共に不思議と快感となるマジックを秘めているのです。

書き言葉では、言い表せない”ニュアンス”(微妙な差異)です。
このニュアンスを感得した外国人(私もその一人ですが)は、俗に言うイタリアに嵌(はま)った!という表現が用いられるのだろうと考えています。

日々の生活のなかで「相違」は、あらゆる点で存在しています。
私は、ここにきて(時間的経緯)どうもこの”相違の愉し
み方”に喜びを感じる程、病膏肓の域に入ってしまったようであります。


                          個性とは 相違を許し 立つおのれ
                             元鷹