2012年12月27日木曜日

"ひかりバス" も走ります。

今夕にテルミニ駅構内〔バス発着場〕を歩いていた時、突如”光で真っ白に染まった”1台の小型バスが、まるで流星の如く目の前を走り過ぎるではありませんか。

この光装飾をあしらった小型バスは、クリスマスのシーズンにだけ一部のルートに限って運行しているようすです。12月に入って、例えばヴェネチア広場のバスストップに止まっているのを1~2回見たことがありましたが、目前を走るシーンは初めてでしたから、「いざ、鎌倉ッ!」とばかりに構内を走ってカメラを向けてしまいました。

幸いにもバスは、道路へ出る直前の信号に止まってくれていましたので、そこを〔左側ボディ〕撮影することが出来ました。共和国広場へ向かう後ろ姿もパチリ!と撮らせて貰いました。

寒空の下、”ひかりバス”〔正式な名前ではありません〕の運行は、乗客は勿論、見るものの気持ちを和らげるメンタルな効果を上げているのではないでしょうか?

この発想力と行動力は、さすがイタリア人ならではの”アイデンテティ”が潜んでいるように見えました。先に取り上げました”ひかりの天の川”もさることながら、アート・デザインへの取り組み方には、今日でもイタリアの伝統が脈々と引き継がれているように思われてなりません。


エッ!これが、乗合バス?と驚くような”ひかりバス”です。
テルミニ駅構内をスイスイ走っていました。



                颯爽とテルミニを後にして、共和国広場方面へ。
                料金は、1乗車1.5ユーロ〔170円〕です。
                お伽噺に出てくるような可愛らしいバスでした。


                ひかりバス まばたきの中 走り去る       元鷹 
 

2012年12月26日水曜日

通りのネーミング

チョット身近過ぎて、楽しいことや変わったことなどに気がつかないことが時々あります。
しかし、それは家族や友人関係だけではなく、私たちが毎日見る風景の中にもあります。

例えば、ローマの「通り」の名前には数字を上手く取り入れたり、世界の街〔国名、都市名〕を使ったり、あるいは歴史上の人物の名前を採用していることなどがあります。

数字を使った「通り」では、「9月20日通り」、「11月4日通り」などが直ぐに浮かびますし、世界の街名からは、「オーストラリア通り」、「ネパール通り」を筆頭に市内には多数あるようです。

つい嬉しくなるのは、わが日本国名を冠した通り”PASSEGGIATA GIAPPONE”〔日本の散歩道〕が、ローマのEURにあります。

人造湖の周りには、サクラが植えられており毎年4月頃には満開になります。ローマに居ながら、桜見物を楽しめるのはいかにも優雅であり、この世の贅沢であります。

湖のところどころでは、白鳥、カモ、などの水鳥たちが、スウイングするかのように湖面をスイスイと泳ぐ姿を楽しめます。

また、人物の名前をとって付けた通り名は、正に多彩であり、味わいがあります。
先ずは、音楽家ですが、ベートベン、ショパン、リストなどがあり、政治家では、ケネディ、ガンジー、リンカーンなどです。

日本の政治家を採用した通り名を探しましが、残念ながら見つかりませんでした。
ローマの「通り」のネーミングは、正に独創的かつ個性的であり、発想豊かなオリジナリティをもつものが多く、自由奔放であります。


                      EUR〔エウル〕にある”ベートベン通り”の道路標識です。
               〔2011年11月撮影〕


               ヴェルディ 行け我が想い 200年        元鷹     

2012年12月25日火曜日

コルソ通りの天の川

今夜〔24日〕はクリスマス・イヴ。
昨年に引き続きまして”VIA DEL CORSO”〔コルソ通り〕の夜景へ皆さまをご案内致しましょう。

コルソ通りはポポロ広場とヴェネチア広場を結び、多くの観光客が集うスペイン広場から、コンドッティ通りを進むと交差します。一口に申しますと、ポポロ広場の双子教会の間を走る通りです。

かつて大文豪ゲーテは、死の直前に”もっと光を!”という有名な言葉を残して逝った、ということを随分昔に何かの本で読んだことを想い出しました。

ゲーテは224年も昔、ローマ滞在中〔1787年頃〕に何とこのコルソ通りの一角に仮住まいを構えていたそうです。

”もっと光を!”と叫んだゲーテと今夜のコルソ通りの”ひかりの輝き”は、何と言う偶然な関係なのでしょうか。もっともこの辞世の句が、この”ひかりの天の川”つくりのヒントになったとは、どうぢても想像しにくいのですが・・・。

しかし、コルソ通りの”ひかりの天の川”は、聖歌「きよしこの夜」の詩の如く、

     ♫ きよし このよる ほしはひかり ♪ 

を夜空に描いたかのような清らかで無垢な美しさを醸し出していました。

ところで「きよしこの夜」の3番の詩をご存じですか?

                3〕 きよしこのよる 御子のえみに
    
                   めぐみの御代の あしたのひかり

                   かがやけり ほがらかに

やっぱり”ひかり”は私たちの希望なのですね。

どうぞ、「きよしこの夜」を口ずさみながら、下に掲載の写真をご覧願います。   

                   MERRY CHRISTMAS !    



  



 24日〔月〕19:50頃 コルソ通りの”ひかりの天の川”をヴェネチア広場側から撮影したものです。


               ヴェネチア広場のほぼ中央へ入って撮影したものです。
               天の川のような光の装飾は、ポポロ広場へ向かって細く
               なって行きます。まるで「素麺」つくりの棚のようでもあります。  

            
               ひこぼしは  寒さ忘れて コルソまで        元鷹
               むかし住む  ゲーテの願い 今ひかる       元鷹  
               

2012年12月22日土曜日

ヴェネト通りを歩く

今夕〔12/21〕は、ビットリオ・ヴェネト通り(VIA VITTORIO VENETO)を散歩しました。やや北側にあたるフィウーメ広場からボルゲーゼ公園方向へ向かい、フェリッーニ広場から城壁(アウレーリアーヌス)を抜けるルートです。

たっぷりと幅のとられたヴェネト通りは、いつもと変わらぬ落ち着いた、しかしローマには珍しいと言っても良いと思うのですが、よそよそしい表情を感じさせていた。

歩道から眺められるカッフェには、人影はまばらであった。ヴェネト通りは、映画「甘い生活」(LA DOLCE VITA)〔FEDERICO FELLINI監督1960年〕の名場面にも登場することでもよく知られています。

通りの両側には、5つ星の高級ホテルや見るからに高級な宝石・貴金属類を贅沢に飾ったショーウインドーを持つブティックが、堂々と競いあって並んでいます。

さて、ゆっくりと坂道をバルベリーニ広場に向かって歩いて行くと在伊アメリカ合衆国大使館が現れてきた。「さすがU.S.A.だ!」と感嘆に値する歴史を感じさせる建物が広大な敷地の中にドーンと居座っていた。

なるほどかつてはサヴォイ家のマルゲリータ女王のお住まいになられていたという宮殿〔館〕に相違ないと思わせる建物でした。

バルベリーニ広場とヴェネト通りとの接点に近いところには、「ハチの噴水」が置かれています。
あの天才彫刻家、バロック芸術の雄ジャン・ロレンツォ・ベルニーニの手になるものであることが、手元にある観光ブックに書かれているのですが、私にはどうも違うような気がしてならないのであります。

ご存じの方も多いと思いますが、目と鼻の先にはバルベリーニ広場があり、その中央には「トリトーネの噴水」〔現在修復中〕が、聳えています。この泉もベルニーニの代表的な作品ですが、「ハチの噴水」とは、大きさは兎も角デザインの勢いが違います。

または、先にとり上げました”ボルゲーゼ美術館”のベルニーニ彫刻の圧倒するような美しさに触れた影響が残っているせいでしょうか。

私はそんな思いを寄せながら、普通だったらバルベリーニ通りを昇るのですが、今夜に限ってすぐそばにあるVIA S.NICOLA DA TOLENTINO を歩きだしました。




ヴェネト通りのとば口にある「ハチの噴水」をパチリ!
バルベリーニ家の紋章である3匹のハチが、中央、左右に見えます。
水盤と何やら文字が書かれている貝殻状のデザインは、2枚貝を象徴しています。




               映画{LA DOLCE VITA〕の舞台になったヴェネト通りの有名な
               「CAFE’ DE PARIS」です。
               青色のネオンサインが、寒さを余計に感じさせました。


               くねる道 豪華絢爛 坂下る             元鷹 
               
                

2012年12月21日金曜日

師走雑感

今年のローマの冬は、少し寒さがきついように感じます。とは言っても、昨年との単純な感覚的な意味合いでしかありませんが・・・。

クリスマスまであと4日と迫った昨今ですが、先日19日には所属していますコーラスの仲間とテベレ川に近いブレシアーニ通り沿いにある少年裁判所にある講堂(演奏会ホール?)にて、G・ヴェルディの歌劇[ナブッコ]より”VA PENSIERO”を演奏して参りました。

帰り道は、北風の中、コートの襟を立ててトボトボとジュリア通りを10分位歩き、カンポ デ フィオリ広場を抜けて、大きなバス通りに出ました。ローマのバスで、一番スリが多いと言われます有名?なバス「64」に勇気を奮い起して乗り込んで、一路テルミニ駅へ向かいました。幸いにもスリには遭わずに無事500人広場に到着出来ました。

不思議と冬の寒い夜のテルミニ駅は、照度の高い明るさと人混みのせいもあってか、何か気持ちをホットさせるものを感じました。それは丁度、東京駅や新宿駅などでは無く、上野駅で感じるあの独特の”安堵”の空気に似たものであります。

 
                    ジュリア通りの壁面には、「怪人面の噴水」があります。
                    チョット不気味ですが、面白いモチーフです。右上には
                    半月が見られます。19日午後19時頃撮影。ここから
                    カンポ・デ・フィオリ広場まで、5分位です。

                                                           
                                             VIA GIULIA 夜景
                   
               趣き深い味の在る通りです。ギャラリーが多く並ぶ
               アーティスト通りです。ローマは、夜の風景も魅力的な所が多いようです。

                  
                    
               テルミニ駅正面左側手前に残されているセルウィウス王の城壁
               の一部です。(紀元前6C)知る人ぞ知る壁です。私も知らなかった!
               アウレーリアーヌス皇帝が造った城壁は、紀元前3C頃ですから
               さらに300年位以前のものです。

                    
               同日夜8時前のテルミニ駅構内のXmasディスプレイです。
               多くのツーリストが、デジカメを向けていました。サンタが、
               ツリーを牽いている恰好です。ツリー下部に見える白いものは
               ツーリストが、思い思いに書いたサンタさんへの願いごとの紙片です。


               時はしり 終着駅に ひかり寄る            元鷹       

2012年12月18日火曜日

ボルゲーゼ美術館

ローマに住んでみると実感することが時々あります。それは、歴史が作った有形の文化遺産であり、歴史という時間そのもが在ったという無形の空間的遺産であります。

このローマの印象或はローマの街並みを、「ROMAの蜃気楼」と勝手に名付けて、楽しんでいます。

世界から訪れます殆どの観光客と言ってもよいでしょうか、ローマに在る遺跡、例えばサンピエトロ大聖堂を見て、コロッセオを見て、そしてトレビの泉を見て、驚愕し大感激してしまうのであります。そして勿論、私もその中にひとりなのですが。

紀元前からの建造物から現代までの建築物を同じ街中(空間)で見物できる都市は、世界中をみてもなかなかあるものではないと想像します。この「今昔混在のヴィジュアル体感」こそが、ローマという都市のもつ特性なのかも知れません。

さて今回のテーマは、”ボルゲーゼ美術館”です。人間が、先人が、ここまで芸術をする(変な言い回しですが)とは、と思わず唸ってしまう彫刻や絵画が、このボルゲーゼ美術館の中には在るのです。
(何度訪れましても、ただただ感動するばかりでありますが・・・)

17世紀前半に、シピオーネ・ボルゲーゼ(枢機卿であり、ベルニーニの後援者だったと言われます)が
夏の別荘として造った建物だったそうです。20世紀初の国立美術館になった伝えられています。
1Fには、彫刻作品が、2Fには絵画作品が展示されています。

特に彫刻作品のファンには、お薦めの美術館だと思っています。(尚、入館には事前の予約が必要です。)ジャン・ロレンツォ・ベルニーニの彫刻作品の数々には、度肝を抜かされます。大理石が、まるで飴細工であるかのように錯覚させられるほどです。ただただ数々の作品の美に感動し、驚き、仰ぎ見るだけです。

美術館を出た後には、広大なボルベーゼ公園敷地での散歩が”美の酔いさまし”にうってつけです。
美と自然をこころから楽しめる魅力的なところが、ボルゲーゼ公園には詰まっていると言っても過言ではありません。



                    左の小片は、入場半券です。
                    ティツァーノ絵画「聖愛と俗愛」一部コピー。
                    水色は、パンフレット表紙です。


                    蜃気楼 至るところに 美の天音     元鷹

                                

2012年12月14日金曜日

スペイン広場 師走模様

あれよあれよという間に師走も14日〔金〕の朝を迎えてしまった!あれよあれよ、と言いますのも毎年12月の時間は、他の月よりも早く回っているのではないだろうか、と非科学的なことを思うほどに一日の経つのが早く感じてならないのであります。

さて、先日12日〔水〕夕刻5PMのローマ随一の賑わいどころ「スペイン広場」周辺の師走風景をお伝えしたいと思います。所用があって、メトロA/SPAGNAのスペイン広場に出てみますと、薄暗い中から
笛太鼓の賑々しい音楽、いや騒音が聞こえてきました。

本来は、反対方向にあるVIA/BABUINOへ行くはずでしたが、これは何だろうか?と踵を返して、スペイン階段へ、急ぎました。

その群衆の中から、この世の人とは思えないような美男美女のカップルの姿が、浮かび上がってきたのです。否、正確には美女美男のカップルと呼んだ方が、その情況をご理解し易いかも知れません。

もしかして、”MIS.○○○”のパレードか知らん、などと想像した次第でした。
12組のカップルは、手に手を取り合ってスペイン階段を順に上って行く雄姿、いや優雅なステップは、
なるほどお洒落なイタリア人の得意とする様(さま)であります。

そのような風景をカメラに納めている合間に、かれらの一団は、VIA/CONDOTTI(一番の老舗街が並びます)に向かって、右隣のVIA(通り)へ通り抜けてしまいました。

私は、階段下の噴水(バルカッチャの噴水)の近くに居たイタリア人のおじさん(どういう訳か、最近富に自然におじさんに訊ねることが多くなってきました)に、このフェスタ(祭り・賑わい)は何?と聞きますと、”商店街のPROPAGANDA(歳末セールの宣伝)じゃないの?”とのことでした。

人さまをハットさせることにかけては、群を抜いて才覚を発揮するイタリア人のこと、世界からの観光客の集まるここスペイン広場での「PROPAGANDA/プロパガンダ」は、周辺の老舗街の集客に、大いに一役買っていることは間違いなさそうです。オソレイリマシタ!


               スペイン階段に12組の花婿花嫁が勢ぞろい。
               映画のワンシーンのように華やかで本格的でした!


               
               その2 ローマの寒さも一瞬忘れさせてくれる程の
                    美女美男のパレードでした。

                 

               階段上がったところに位置するトリニタ教会と階段に飾られた
               クリスマス・ツリーが、階下のローマの雑踏を静かに見つめます。



               いつもローマのファッションをリードする老舗街 VIA CONDOTTI
               シャンデリアが吊らされて、ロマンティックな空間を演出しています。


               時を超え 処を超えて 師走なり          元鷹
          
               人恋し クリスマス時季 ベルが鳴る       元鷹
               

2012年12月8日土曜日

シチリアのお菓子屋さん

今年も早いもので、もう12月になってしまいました。この「早いもので・・・」という枕詞が使われるのもこの師走に多いのではないでしょうか?♫あといくつねるとおしょうがつ♪という唱歌を歌っていたのは、半世紀も前になるのか!と想像すると驚いてしまいます。人生とは、過ぎゆく時間なのかと。

さて、通勤路の途中で、アーケード(実際には、GALLERIAと呼びます)の商店街を通り抜けて会社へ向かいます。このガレッリアの真ん中に、貫録を漂わせたシチリア・パレルモのお菓子屋さんの老舗
”Pasticceria Dagnino”(パスチチェリア・ダニーノ)があります。

シチリア島パレルモが、その出身らしく店先の大きな看板には、DAGNINOというのれんの両脇にバランスよく、左頭にroma,その右側にはpalermoという所在地を入れています。(写真ご参照下さい)
場所は、共和国広場に近く、V・エマニュエレ・オーランド通りとトリノ通りに挟まれた”GALLERIA ESEDRA”(ガッレリア・エセドラ)を目指して頂ければ直ぐに分かります。

この老舗の名物は、シチリアのドルチェ(お菓子)です。
すぐにイメージが湧いてくるお菓子は、”カンノーロ”で、一番の名物菓子ではないでしょうか?!
リコッタチーズ、チョコレート、クリームなどを詰めた筒状菓子パンです。ドルチェシモです。

営業は、レストラン、バールも比較的大きく展開しています。また、お隣の店舗では、ギフトショップを展開しています。今年のXマス装飾は、アーケードを行き交う通行人の眼を引く鮮やかなカラーが見事です。(写真を撮らせて頂きましたのでご覧ください)

ローマでは、毎年12月8日~翌年1月6日をナターレ(クリスマス)期間としており、この時期が繁華街では最も人出も多くなって、買物客でまたは家族へのあるいは恋人へのレガーロ(プレゼント)を用意するための下見客で賑わいます。

かつてお正月が待ちどおしくて、ワクワクしたあの気持ちと同じように、ローマの人々はこの時期が一番こころがときめき、クリスマスまでの暫くの時間は、最も楽しい季節に違いありません。

イタリア人の話し声には、トーンに独特の深さがありますが、ナターレ直前のこのシーズンは、より深くそしてもっと張りのある通る声に聞こえるから不思議です。



               ガレッリア・エセドラ中央に店構えのあるドルチェの老舗
               Pasticceria DAGNINO ギフトショップ側の玄関口

               

               イタリアの縁起物の代表格と言っても良いでしょう。
               ピーニャ(まつかさ)を形とったオブジェ、大きさは何と
               20cm位ありました。本物に見間違えてしまいました。

               
               ギフトショップの飾り付けの素晴らしさをご覧ください。

               
               ギフトショップ左側に飾られたツリーと可愛いサンタ人形たち。
               
                  
               贈り物 ヘンリーの短編 想い出す      元鷹
               

2012年11月11日日曜日

芸術家の噴水

ローマの観光名所として代表的な存在ともいえる”スペイン広場”は、連日多くの観光客で賑わっています。そんなスペイン広場をあとにして、バブイノ通りの右側をポポロ広場に向かってゆっくり5分も歩けば、マルグッタ通りへ抜ける細い道に出遭います。

もうここまで来れば、スペイン広場の喧騒から遁れ、穏やかな空気の中で、時のながれを忘れてしまいそうなシーンが、まるでフィルムの一コマひとコマのように眼に入ってくるかのようです。

ここは、Via Margutta〔マルグッタ〕 と呼ばれる、映画「ローマの休日」の舞台になった有名な通りです。

さて、このマルグッタ通りには、「芸術家の泉」と呼ばれる泉が通り壁面に作られています。
彫刻家は、建築家ピエトロ・ロンパルディです。1926年以降1930年代にかけてローマ市内10地区
〔市内を10に区分けしたもの〕に、それぞれの区に見合った〔地域をイメージさせた〕デザインをテーマにしたそうです。

この通りには、古美術商、デザイン事務所、画商、レストラン、ホテル、アパート、インテリア照明器具店、理容店などが小さな間口ではあるが、個性あふれるお店ばかりが並んでいました。

”ローマの休日”では、この通りの51番地が、新聞記者ジョーのアパートの所在になっていました。
日本人が、この映画のメイン・スポットを調べて、地図を片手にここを訪ねてくることも頻繁なようです。
王女アンの眼には、ここの「芸術家通り」の町並みの雰囲気はどのように映ったのでしょうか?

ところで来年は、映画”ローマの休日”が世に出されて60年目の記念の年になるとのことです。
多くのヘップバーンのファンが、このマルグッタ通りを行ったり来たりする姿が、目に浮かぶようです。


                   
                    S・P・Q・R文字の真下には、絵具の入ったバケツが置かれ、
                    その下両脇には、イーゼルが配置されてます。右は、笑っている  
                    顔、左は怒っている表情の人間の顔がモチーフです。

                      
                    管理人さんに許可を戴いて中庭に入ることを許されました。
                    左側に、アパートへ通じる階段がありました。
                    これ以上は、私有地につき入場出来ませんでした。念の為。

                    マルグッタ 藝術街 夢通り        元鷹   

                      

研究 マーキュリー像の謎 そのⅢ

ギリシア神話、ローマ神話といったファンタジックな世界の物語は、いつか読みたいものだと思いつつも只只時間が、矢のように過ぎ去ってしまい興味も関心も失せてしまう性質を持っているのでしょうか?
 
さて、日本人には比較的馴染みがあるものに「マーキュリー」を挙げることが出来るかも知れません。
マーキュリー〔メリクリウス、ヘルメスとも〕は、神話では全能の神”ゼウス”の末っ子という設定であります。ヘルメット、両腕、両足には小さな翼をつけていて、韋駄天のように素早く動き回るので、伝達の神、技能の神、商業の神、等々と崇められています。
 
このブログでは、タイトルのように「研究 マーキュリー像の謎 そのⅢ」と題して、その後の調査〔オーバーかな?〕をお伝え致します。お時間のとれる読者の皆さんは、ぜひともアーカイブにて2月のブログから、そのⅠ、そのⅡをお読み戴けましたら一段の興味が湧くことと存じますので、お勧め致します。
 
★テーマを整理してみたいと思います。
  • 1)三越本店正面玄関〔ライオン像のある〕中層階にマーキュリー像が設置された当時〔1923年〕のことですが、誰がなぜマーキュリー像を設置することを決めたのでしょうか?
  • 2)像の原型は、ローマ市Villa Medici〔スペイン階段上・丘のトリニタ教会左お隣。現在は、フランス文化省所属、一日数回のガイド付ツアーが、仏・英語であり。〕公園内噴水のオブジェと紹介されています。また、そのオリジナルは国立フローレンス博物館〔実際には、フィレンツェ・BARGELLO国立博物館〕に所蔵されている。
  • では、その実態を確認してみよう、という追跡調査をすること。
テーマの1)は、資料文献を、或はご担当の方に将来ご協力を願いたいと勝手に念じている次第です。さて、ここに居てテーマ2)は、幸いにも都合をつけて足を運ばせれば、可能なことと思われます。
 
従いまして、以下の通り2)のチャレンジをしてみました。
 
①2011年9月10日〔土〕フィレンツェ市  バルジェロ国立博物館 訪問
                ミケランジェロの間にて、”マーキュリー像”を観る〔写真参照〕
 
                   ① ポーズは似ているが、全体に飛んでいるように見えます。
                     左手、右足は三越本店にある像に比べ、動的です。
 
②2011年9月20日〔火〕ローマ市     Villa Medici 訪問
                公園内噴水中央に飾られた”マーキュリー像”を観る〔写真参照〕

②公園に向かって後ろ姿を撮影しました。
広い庭園の最初の出口にその美しい姿を見つけました。
やはり、①同様に動的な姿です。              
                    
 
※①と②の写真を比較しますとほぼ同型の作品であるように思われますが、三越本店のマーキュリ  ー像とは、デザインが違います。その為、同博物館に電話にて確認しますともうひとつの像が、2F〔日本の3F〕に在る、との回答を得て、ホットした覚えがあります。
 
③2012年11月5日〔月〕バルジェロ国立博物館 再訪問
                目的:もう一つのマーキュリー像を観ること。
                結果:残念ながら、収納されているという2Fは、一般公開されずに閉鎖に
                   なっていました。
                ※博物館入口係員にいつ公開になるのかを聞いても分らない、と言います
                  悔しくても一旦引き下がることにしました。

以上のことから、総じてお伝えできますことは次のような仮説です。

  • A.作家ジャンボローニャ〔別名:ジョヴァンニ・ダ・ボローニャ〕は、マーキュリー像をいくつかの型を作っていた。①,②とも三越本店の原型〔オリジナル〕でないのは、他のデザインの作品と
    その後並び替えられた為である。その原型は、③のように非公開になっている。
  ・ B.①,および②は、1598年以来414年変わらないものの、三越本店のマーキュリー像は、
    コピーした時点で、デザインはモディファイ〔変更・修正〕された為に、各部位が違った角度、カタ 
    チを作っている。
  • C.原型を模したもの〔銅像〕を大正12年7月に設置したとの説明〔三越〕であるが、誰がどのように模したものかは、明らかではありません。よって、原型に拘らずに「模したもの〔コピー〕」
    を銅像にしたのではないだろうか、という見方には無理があるでしょうか?

  ・ 仮説A,B,Cは、仮に非公開のマーキュリー像が、どのようなデザインなのかが判明した時点で
    ハッキリとした答えを得ることになりそうです。

    従いまして、これ〔そのⅢ〕を持ちまして「研究 マーキュリー像の謎」は、一先ずお開きとさせて
    頂きます。※新しい情報を入手しだい、お知らせ致します。

ところで、マーキュリー像が大正12年7月に設置されたわけですが、2カ月後の9月1日に起った関東大震災によって消失した〔或は、太平洋戦争中に軍に供出された、との説あり〕後は、1972年〔昭和47年〕の創業300周年記念事業の一環として再設置されるまでの半世紀は、席を空けたまま状態だったわけです。今日、私たちが仰ぎみます「マーキュリー像」は、表面を合金で黄金色に仕上げられF/R/P〔強化プラスティック〕材質で出来た2代目の「マーキュリー像」なのです。

           三越の マーキュリー像 獅子の上      元鷹    
          
                                                                 

2012年11月9日金曜日

夢の超特急 "ITALO"  イタリア鉄道の旅

仰々しいタイトルを付けてしまいました!旅行とか、況や鉄道なんて文字をブログに採り上げられるほどのトラベル体験がないのに、至極恐縮な心持ちです。恐れ入ります!

しかし、そんな「旅おんち」「鉄道おんち」でも、是非ともこればかりは、早いうちに体験させて貰いたい
ものだと、春ころから願っておりました「ITALO」(イタロ、またはイタローと発音するのか?)乗車の夢が叶い、あわててペンを、否キーボードを叩き出した次第で御座います。

論より証拠です。先ずはこの雄姿/ロング・ノーズ、そして堂々たるロゴ&カラーをとくとご覧ください。


ローマ・ティブルティーナ駅12番線にて11/4(日)10:00AM頃
撮影しました。トレードマークの”うさぎ”も気に入りました!

さて、興奮を抑えて先を続けることと致します。新登場の”ITALO”新幹線の特徴は、NTV㈱の
ホームページから、調べますと①環境保全に配慮②省エネ運転③座り心地が良い④安全管理に
自信あり⑤静かな環境、と言ったPRが書かれているのですが、イタリア語記述の為、
真に相済みませんが、全てを掌握したものではないことを先にお詫びしておきたいとおもいます。

そのほか、全長が202m、450人乗車可能、最大積量423t、などとの情報も見られます。
4日は、チケットを手配しただけで、翌日5日同駅より乗車して、フィレンツェまで出掛けてみました。
席は、従来の1等、2等、3等から呼称を変えて、「CLUB」、「PRIMA」、「SMART」とお洒落な?
クラス分けになっています。私は、ポケットと相談して「SMART」7号車の席に陣取りました。

最高速度は、ローマ⇔フィレンツェ間では、250KMでした。フィレンツェ以北での運転は、さらにスピードアップされるのかもと、乗車しない区間を気にしつつ、左右の窓外に眼をキョロキョロさせて、
気がつけば”間もなくフィレンツェに到着します!”という電子掲示板が、目に入りました。

このような具合で”ITALO”新幹線初乗り体験は、あっ気なく無事に?一幕終了となりました。



                確か1号車寄りから「Club」(所謂1等車)が、並びます。
                続いて、「Prima」(写真ー上),そして「Smart」です。
                Wi-Fi 接続完備ですので、多くの乗車客は、インターネットを
                楽しんでいました。

                辞書引けば ”ITALO”の意味は イタリア人     元鷹

                初乗車 ”イタロ”の旅は 花聖堂            元鷹      



2012年10月31日水曜日

ドメニコ フォンターナのこと

私たちにとって、偶然の発見は、こころ躍る愉快なできごとに違いありません。

今回ご紹介しますのは、16世紀にローマの都市つくりを推進した教皇シスト5世の腹心であった
建築家ドメニコ・フォンターナ〔DOMENICO FONTANA〕(1543~1607)の住処(すみか)です。

或る日の昼下がり、サン・ピエトロ大聖堂に近いバス停を目指しているゆっくりと歩いている時でした。ふと通り沿いに架かっていた看板(それはホテル「BRAMANTE」とすっきりした文字が、眼に飛び込むようなデザインでしたが、)の横に、それは白壁塗のどこにもあるような壁面でしたが、しっかりと
歴史的な事象の案内書きが飾られていたのでした。

16世紀後半に、ときの教皇シスト5世の宜しき信頼を得た建築家ドメニコ・フォンターナが、ここVICOLO DELLE PALLINEに居を構えていた住処(現在は3星ホテル)に出遭ったのです。

彼は、1543年にルガーノ湖畔(スイスに隣接した湖)のMELIDE(メリーデ)という村に生まれた人物ですが、どういうわけでローマに来たのでしょうか、またどのような出逢いが、シスト5世との間に在ったのでしょうか、それは不詳です。そして、ローマの都市設計の立役者であったこと、また1607年ナポリにて没したことが記されていました。

彼の建築家としての主な仕事ですが、いまでも私たちの眼にもとまるものが沢山あります。
オベリスクの設置 ①サン・ピエトロ広場 ②ポポロ広場 ③サン・ジョバンニ広場 ④エスクィリーノ広場などのオベリスクです。また、サン・ベルナルド広場にある「モーセの泉」は彼の残した泉です。

そして、以前にも紹介しましたが、フェリーチェ通り(サンタ・マリア・マッジョーレ教会から、丘のトリニタ教会へ真っ直ぐ続く通り)《この通り名は、俗称ですから実際には、現存していません。》の道路つくりを手掛けたそうです。

ここの住処は、成るほど”いざ鎌倉”という時には、サン・ピエトロ大聖堂への距離は僅かです。
教皇からの呼び出しには、飛んで行けるような便利な所ですが、一体これだけの偉業を成した
大建築家が、仮宿にしていたとは思えないような至って控え目な建物でした。

400年後の今でも、改造されたにせよ、ホテル{BRAMANTE}に変わって、世界から訪れる観光客に利用されているのですから、全くの驚きです。石の文化、石の建物の凄さをみるおもいでした。



                  左の石板にドメニコ・フォンターナが、ここに住んでいたことを
                紹介しています。右は、ホテルの看板です。チャンスを作って
                宿泊してみたいと思います。

                 
                中央植込みの奥にホテル玄関があります。
                サン・ピエトロ広場から、3~4分の近さですが、
                人陰のないひっそりとした通り《VICOLO》です。      

                道しるべ オベリスク建てる フォンターナ     元鷹 

2012年10月27日土曜日

ローマのポスト と バチカンのポスト

「不断に、どうしてなのかなぁ?」と言う疑問が、なんかの拍子であるとき、一瞬に解決したときには非常に嬉しくなったり、ホットしたりすることがあります。

例えば、街角の郵便ポストのことです。家族や知人宛に書いたハガキをポストに投函するとき、何時頃郵便局の係り員が、集配に来るのだろうかと、ふと想うことがことが時々あります。

そういえば、ローマに来てからこの方、あちこちのポストから、郵便局からの係り員が、近隣の家々から、或は事務所から投函された郵便物を取り出しに来ている姿を見たことがありませんでした。

郵便物は毎日何時頃に集配にくるのだろうか、と不思議に思って、朝に夜に壁に架かっているポストを眺めることが、いつのまにか癖になってしまいました。

そんなある日、もう1か月前になりますか、何時ものようにバチカン市国の郵便局へ行った帰りのことです。サン・ピエトロ広場を出て、ポルタ・アンジェリカ通りを歩いている時でした。
何と待望の瞬間〔郵便物をポストから取り出す〕を見つめることが出来たのです。

赤いポストの真下に布袋をセット〔ポスト両脇下方にフックがついている〕して、鍵穴にカギを差しむと底板が開いて郵便物が、袋にドット落とす仕組みだった。

この係り員の一連の仕事は、瞬く間に終了してしまい、長い間この瞬間を待っていた私にとっては、何か物足りなさを感じてしまいました。

これまでの経験から察しますに、ローマ〔或はバチカン市国〕から郵便物が、日本へ届けられるまで、およそ5~7日を要します。1枚の葉書の旅は、このようにして始まり、多くの人の手から手に渡って、世界中に、書き手の想いが、届け先相手の玄関口まで届けられるのです。

「E-メール」が、コミュニケーション・ツールの主流になったと言われる昨今、私は頑なに万年筆を愛し、切手を好み、1枚のハガキに向かって、「1日1筆」の行を続けて行きたいと願っています。


                     市内の至るところに設置〔壁掛け式〕されているタイプ。
                     左側は、ローマ市宛先用、右側はローマ以外のイタリア、
                     および外国宛先用です。いたずらシールが、目立ちます。

                       

                バチカン市国にある郵便局入口のポストです。
                色は、御覧のように黄色です。サイズは、タテ約90cm、
                ヨコ約50cmです。ローマ市の赤いポストとサイズは、
                同じようですが、差入れ口は、1つだけです。

                葉に書いた 古代のハガキ 今日はメール     元鷹 

2012年10月24日水曜日

風船草の白い花

ちょうど3カ月前の7月24日〔火〕に、引越し祝いに駆けつけてくれた同僚知人らと植樹祭ならぬ
記念の”タネ蒔き”を楽しみました。

このタネとは、”風船草”というもので、ローマで初めてその存在を知ったわけですが、塩マメのように
まんまるとしたカタチで、まるでお猿さんの顔が描かれているように見える愉快なタネです。

話しは古くなりますが、昨年10月テルミニ駅近くのホテルDIANA屋上にて、日本文化フェスティバル
が、有志によって開催されました。その時のロッテリア≪商品の当る抽選会≫ のハズレ賞の記念品だったわけです。

本来は、夏前に蒔くものらしいのですが、時期にお構いなく”引越し祝い”のイベントの主役となりました。1カ月過ぎても芽が出ない、と心配しては水やりをして、オーナシップのまねごとをしていたのですが、9月前後だったか、記憶に残っていないのですが、雑草と見間違うようなギザギザの葉をつけた風船草が、ニョキニョキと目の前に現れました。

そして、つい昨日には、小さな小さなそして清楚な花を咲かせてくれたのです。
「ワーッ、大変だゾー!」とばかりにカメラを持ち出して、パチリと記念のスナップを撮りました。

芽が出たとき、小さな花をつけたとき、この驚きと言いますか、感動と言ったら良いでしょうか、
もう遥か半世紀も前の幼いころに無心に育てた朝顔のことが、想い出されて不思議な気持ちに
なりました。

11月中には、実を結んで数多くの”お猿さん”を創りだしてくれるのだろうか、と今から楽しみに
テラスに立つ今日この頃です。

ロッテリアのハズレ〔参加賞〕は、”大切な潤いのとき”を私たちにプレゼントしてくれたのです。



                純白の可憐な小さな花は、少しの風でも吹き飛ばされそうに
                思えてなりません。

                 
                     いつの間にか、ノッポになって天へ登る勢い?
                     細めの針金で、ツルが絡み易いようにしています。


                     七変化 お猿の顔は いま美人       元鷹

2012年10月6日土曜日

ヴィミナーレの丘を探す

10月に入ってローマの空は一段と青さに磨きがかかったかのようだ。
所謂、”AZZURRO”(アッズッロ)というイタリア人が好んで使う色表現のそら色のようだ。
蛇足ですが、サッカーなど国際試合でのイタリア選手正式ユニフォームの青色を
アッズッロと呼びます。

そんな秋晴れの下、「七つの丘」の最後になった”ヴィミナーレの丘”を探しました。
これまで訪ねた丘は、確かに、「登った」という実感は其々に多少はあったのですが、
七つ目の”ヴィミナーレの丘”の場合、その場所の確認に先ず調べが要りました。

結局、訪ねたところは、ナツォナーレ通り(共和国広場からヴェニチッア広場へ走る)から、
A.デプレティス通りへ左折して50メートル程の地点にある「ヴィミナーレ広場」だった。
ここは丘と呼ぶには平坦過ぎるので、首を傾げながら広場右側の通り(パレルモ通り)を
歩くことにしました。

パレルモ通りの突き当りには、ミラノ通りが走っています。
それに向かって、ゆっくりと左側、即ち”ヴィミナーレの丘”だろう、という場所を見ながら
歩くと建物が塞がっていて、明らかではないのですが、2000年も以前は丘だったかも
知れないと思わせる箇所が見つかりました。(あくまで勝手な妄想?)

時間の都合もあって、地図上には、緑色で染められた大きな部分をぐるりと巡りまわる
ことは出来なかった。以前に紹介させて頂いた”クィリナーレの丘”周辺の南東に位置し、
また、”エスクィリーノの丘”からは、ほぼ西側に当る位置に据わっている、地域でした。

7月から足掛け4ヶ月間をかけての元鷹流”ローマの7つの丘を歩く”シリーズは、これで
完了しました。分からないことばかりでしたが、目的を持って散歩することの面白さ、思いも
かけない発見の楽しさ、イタリア人ほか、色々な人との出逢いで生まれた”人情味”、ETC.
など、古代ローマの”七つの丘”が、素晴らしいプレゼントを用意してくれていたことを知り
ました。

今日の七つの丘の締め括りが、”ROMAの麗雅都だより”100回目のブログ記事となりました。
第1回のタイトルは、”はじめまして元鷹です”(2011年8月6日号)でしたが、お陰さまで
なんとか14カ月間続けて来られました。ご購読頂いた読者の皆様に感謝します。

そして、「ローマへ行ったらブログを是非トライして下さい!」とアドヴァイス下さったMYさんに、
カメラを用意してくれた留守家族の皆に、そしてPCオンチの私にノートを作ってサポートして
くれた次男Sに、こころからの感謝を伝えたいと思います。

明日から、”初心に帰って”ローマの一面一面をお届けしたいと願っています。




                ヴィミナーレ広場には、内務省がドーンと目に入ります。
                私たちには馴染の薄い所ですが、左となりに在るピツッアテリア
                は、美味しいので、時々お邪魔します。

                 
                
                広場正面中央には、御覧のような筏を担ぎあげたような
                面白いデザインの噴水が、楽しめます。

                
                広場からテルミニ駅へ向かう道路が、ヴィミナーレ通りです。
                イタリア三大劇場のローマ劇場が、中程にあります。


                 逍遙 七つの丘に 足の跡            元鷹     

2012年10月2日火曜日

教皇シスト五世とフェリーチェ通り

前回の話題(“エスクィリーノの丘と教皇シスト五世”)の続きです。
特に教皇シスト五世に惹かれた理由は、ひと言で申しますと街つくりに対する
“アイデアと行動力”であります。

中世時代には、教皇の出身母体は、殆どの場合、通常俗に言う”名門貴族”でした。
しかし、シスト五世は違っていました。薄幸な境遇の中で育ち、やがて教皇まで昇り
つめたという稀有な人生を送ったひとです。

しかしそれでだけであれば、太閤秀吉の出世物語に類似するのですが、私の驚きは他に
あります。短い教皇時代(1585~90)の5年間で、ローマの新都市計画を企て実行したことにその非凡な、そして類いまれな“教皇像”をみたからです。

教皇の都市整備事業の一つにかつて”フェリーチェ通り”と呼ばれた道路が、今でも健在です。ローマにいらした方なら、きっとこの道を利用されたことがあるかもしれません。
スペイン広場を昇り切った所に「丘のトリニタ教会」が建っています。

ここシスティーナ通りから、遠くに見えるオベリスクを目印に真っ直ぐに歩くと、
サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂に辿りつきます。この通りが、当時(16C以降)
”フェリーチェ通り”と呼ばれていました。(およそ1.5kmの区間です)

シスト五世の本名が、「フェリーチェ・ペレッティ」だったことから、名づけられました。

”フェリーチェ通り”の途中には、「トリトーネの泉」や「四つの泉」などが楽しめます。
「四つの泉」は、交通量の多い交差点です。車に注意しながら、両端を望めばトリニタ教会とサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂のオベリスクの先端を見ることが可能です。

お気づきかも知れませんが、昨今のような地図案内が無い時代に、一般庶民が目印(建造物)を見ながら、目的地に向かえるようにオベリスク(石塔)を建て、道路を作ったのです。

アップダウンが、あって歩くのは少々大変ですが、途中途中には観光にはもってこいの
名所が、散らばっていて楽しい散歩道です。所要時間約25~30分程度でしょうか。

さて、ここで1冊の新書を皆さんへご紹介させて頂きます。
教皇シスト五世に関する殆どの情報は、この新書から学ぶことが出来ました。
感謝の意を表して、掲載させて頂きます。

     河島 英昭 著  ローマ散策  岩波新書 698

  ≪ご注意≫文中の”フェリーチェ通り”とは、今日でいいます、
       via sistina, via quattorofontane, via a.depretis の3つの通りを
       指しました。
      




              227代教皇SISTOⅤ(シスト五世)の顔写真と
              プロフィールです。サン・ピエトロ大聖堂の
              クーポラ、広場のオベリスクを完成させた、
              との解説があります。    


                9月25日撮影 VIA A. DEPRETIS 通りの中央から、
                スペイン広場方向を撮った写真です。望遠レンズでは
                ありませんので遠くのオベリスクは、青空の中に潜って?
                写っておりません。
                

                ヴァチカン ローマへと 世界から
                                  
                                  シスト五世の都市つくり
                                                     元鷹 

                     
              

2012年9月28日金曜日

エスクィリーノの丘と教皇シスト五世

ローマの7つの丘も残すところいよいよあと2丘(きゅう)となりました。イタリア料理の注文の仕方風に言えば、”insalata”〔サラダ〕の食べごろとなりますでしょうか。因みに、手元の伊和辞書を牽いてみると「essere all'insalata」という表現は、「食事も終わりころである」という意味だそうです。なるほど、上手い言い方をイタリア人は、考案するものです。

さて、そもそも「エスクィリーノの丘」とは、どの辺りを指しているのでしょうか?
皆さんが良くご存じのテルミニ駅から、徒歩4~5分のところにある「サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂」 (四大教会の1つ)が、この地区のおヘソの部分になりそうです。先にご紹介しましたクイリナーレ地区とサン・ジョバンニ・イン・ラテラーノ大聖堂(四大教会のひとつ)のあるラテラーノ地区に挟まれた地域と申せば良いでしょうか。

観光名所としては、「サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂」を筆頭に、「サン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ教会」(ミケランジェロ作のモ-ゼ像が有名)、「サンタ・プデンツィアーナ教会」(モザイクが有名)、また
メルラーナ通りを少し下ると、「東洋国立博物館」があります。ローマにある数多くの見所の中では、訪れる人はさすがに少ないと思われますが、ローマに来て、東洋の美術品を鑑賞するのは、またひと味違った楽しみになるのではないでしょうか。

ところでこのエスクィリーノの丘には、非常に興味深い人物の存在がありました。
ときの教皇シスト五世(1585-1590)です。ローマの都市計画を整備した教皇としてその名を馳せました。日本の安土桃山時代に天正遣欧少年使節の4人が、1585年教皇シスト五世の戴冠式に参加したという記録もあるそうです。詳しくは、次回のお楽しみに!



                エスクィリーノ広場からみたサンタ・マリア・マッジョーレ
                大聖堂の後側です。1587年、シスト五世は、建築家
                D・フォンターナにオベリスク(中央)を建てさせた。

                
                     ウルバーナ通りにあるサンタ・プデンツィアーナ教会。
                     モザイクが、有名とガイドブックには記されています。
                     入ってみると暗くてよく分からない、という印象でした。

                     オベリスク 巡礼の旅 目印に        元鷹  

2012年9月22日土曜日

天国の鍵を持つペトロ像

先のブログには、「教皇冠の噴水」をご紹介しております。実は、この時点からずっと気になっていた
教皇の象徴ともいえる「鍵」のことですが、未だに答えを出せずに悩んで?おります。

やはり、聞きかじりのひ弱さであり、或は聖書物語を知らない不勉強からでしょうか?分からないでいることへの”苛立ち”を感じている次第です。

さて、ヴァチカン市国の国旗〔教皇旗〕には、三重冠を戴くクロスした鍵が描かれています。丁度、「教皇冠の噴水」のカタチにそっくりです。

ベルルーニが設計したと言われるサン・ピエトロ大聖堂の広場の左右には、シンメトリーの石像が建っています。左側の像は、使徒ペトロが右手に「鍵」を持っているのものです。

マタイ福音書16章には、「我、天国の鍵を汝に与えん」とあります。即ち、キリストは使徒ペトロに、天国の鍵を委ねた〔任せた〕のでしょうか?

使徒ペトロは、その鍵を持つ神の代理人として、初代教皇になった、と言うことなのでしょうか?
そして代々の教皇は、「天国の鍵」と「三重冠」を引き継いで今に至っているのでしょう。
ヴァチカン市国に行くと「鍵」が目に入るのは、ごく自然なことなのかも知れません。

何か、頭がボッーとしてきました。以上、上記のことは全くの私の調べた限りでの内容であり、理解ですので、ご了承願います。事実と違っているかも知れません。念の為。

ローマに生きる日本人の一人として、このようなことに結構”悩み”〔気になる事象〕を持つこともあることだけでも診て戴けましたら恐縮です。

ローマで生活していますとやたらにカギのトラブルが、多いのですが、これらのことは「天国の鍵」とは、まったく関係のない話ですが・・・。



                サン・ピエトロ大聖堂広場左側に建つ使徒ペトロは、
                右手に鍵を持っています。御覧になれますか?


                
                上の写真の下側部分〔像の台になります〕のアップ写真です。
                教皇冠が中央上に、左右に鍵を見ることができます。

                使徒ペトロ 世界の人に 鍵みせる        元鷹

2012年9月17日月曜日

続々そして続  敷石の青海波文様に思うこと

このひとつ前のブログには、ノメンターナ通りに面して在る”VILLA TORLONIA”を御紹介しました。
今回は、その往復の道すがらに発見した「青海波」デザインの敷石模様についてです。
さて、既に昨年来この場で3回ほどでしょうか、紹介してきました。

久し振りの登場ですから、初めてこのデザインを観る読者の方もおられるかもしれません。
ローマでは、上を向いて歩いていて足元を見ないと危険なことがあるかも知れない、と言う訳ではないのですが、日本人には身近で親しみを覚える伝統柄/デザイン・”青海波”〔せいかいば〕に大変似通ったデザインの敷石を散歩しながら、探すようになってしまいました。

昨年の7月から今日までの間でも、およそ市内で5か所以上発見しました。昨年末には、遠出をした
チベタベッキア〔ローマに最も近い港町〕でも、見つけることができました。

話しを戻しますと、昨日は運が良く往復で1か所ずつ偶然見つかりました。
往路では、ノメンターナ通り28番地にあった「roma garden hotel」の敷地内にありました。受付の男性にお断りをして、写真を撮らせて貰いました。

そして、復路は同通り205番地のパラッツォ〔住宅・事務所などの集合建造物〕の敷地でした。〔2番目の写真〕

この「青海波」デザインのオリジナルは、どこ生まれたものだったのでしょうか?
何故、ローマにもよく似たデザインが、敷石として使われているのでしょうか?
待てよ、もしかして似ているだけで、日本の青海波模様とは、ぞのオリジンは全く異質なものかも知れないぞ?という疑問も湧いてきました。

私には漠然とですが、”SILK ROAD”ルーツで、東は日本へ、西はローマへ辿りついた文様/デザインなのではないだろうか?と言うイメージがあります。

そんな訳で7月には、知人の建築家R氏や内装工事会社の社長V氏にも、聞いてみたのですが、ハッキリとした回答は戴けませんでした。

9月初めに、ローマ国立図書館を尋ねて見ましたが、書架を歩いてみるだけでも時間が掛かってしまい、とうとう参考本に辿りつきませんでした。係り員に身振り・手ぶりで説明しましたら、その方面に詳しい専門家は、休暇中であるから、いついつ来られたら良いでしょう、というアドヴァイスを頂いた。

さて、次回の図書館調べによって、少しはヒントを掴むことが出来るだろうか?今から、楽しみにしたいと思っています。

もし、読者の方で”青海波”のルーツをご存じでしたら、ご教示を仰ぎたいと思います。


ホテル入口の青海波文様の敷石です。
この模様は、これまでの場合と違って、
孔雀の羽根を広げたような石が、並ん
でいるのが特徴です。




                      くっきりと白い線〔石〕が、際立っています。
                      歩道に面した鉄扉の前から、撮影しました。

                     たかが石 されど石ゆえ 考える      元鷹   


ノメンターナ通りのVilla Torlonia へ行く

もう一年前になるでしょうか?トリノ通りに近い家庭雑貨商のご主人マリオさんから、ノメンターナ通りに面した処に在る”ムッソリーニの住んだ家”〔ヴィッラ・トルロニア〕を見学することを薦められました。

時々気になっていたのでしたが、中々行くことが出来ずにいましたが、やっと念願叶って今日の訪問となりました。英国大使館が近い”ピア門”から、始まるVia Nomentanaを一路北へ歩き出しました。

マリオさんのお話しでは、”ピア門からすぐだよ。”と言われていたことを忘れていませんでしたが、
それでも15~20分は歩いたでしょうか。途中3組のイタリア人に道を尋ねて確認をしました。

それと思われるような大きな敷地を囲む石作りの壁が長く続くようになったので、この先に入口が、
在るかも知れないな、と言う予感が頭をもたげてきました。間もなく背の高い鉄扉の右側が、開いていたので入ってみると、直ぐ右手に小さな事務所〔切符売場〕がありました。

真正面向うには、白亜のクラッシクな建造物が見えます。この建造物が、ヴィッラ・トルロニアでした。
念の為に、切符売場の女性に聴いてみることにしました。「あの建物は、ムッソリーニの家ですか?」
その女性は、一言”Si”〔スィー〕とハッキリと言ってくれたので、安心して入場チケット〔10ユ-ロ〕を買うことが出来ました。

この敷地内には、ヴィッラ・トルロニアを真ん中にして左右には、2つの美術館が控えていました。
広大な敷地では、一般の人たちが憩うことができます。今日の日曜日も家族連れで、緑を愉しむ人たちで賑わっていました。

ローマのこんな中心地でも、まるで郊外に来たかのような落ち着いた公園に緑が茂り、市民に安らぎを与える恰好なスペースになっているのには、実際羨ましい限りでした。

パンフレットによれば、ムッソリーニは、ここに1925~1943年までの18年間を過したようです。
館内に飾られた当時を偲ぶパネル写真には、馬術、テニスなどを楽しんでいる姿のムッソリーニが、
映り出されていました。テニスを観ている観客席の中に日本人の姿を見つけたのには、少々驚きました。


                手前の階段から望む”VILLA TORLONIA”
                貴族のヴィッラでしたが、かつてはB.ムッソリーニが、
                ここで18年間過ごしたことでも知られています。


                ヴィッラの一室の天井画です。余りの美しさに夢中で
                シャッターを切りました。ここでは、フラッシュ・三脚の
                使用は禁止されています。

                
                家族で楽しめるヴィッラのなかにある公園です。
                寝そべったり、ボール蹴りに興じたり、ジョッギング
                、サイクリングをしている人にも会いました。

                ノメンターナ 貴族の館 秋の午後       元鷹   

                   
                 

2012年9月12日水曜日

教皇冠の噴水

爽やかな風が吹いた散歩日和の一日でした。ひょんなことから、楽器の”マンドリン”を探すことに
なってしまい、ピアッツァ・リソルジメントから、15分位歩いたVia Fabio Massimo の楽器専門店の「MUSICARTE」を訪ねました。着いてみると幸いにもお店も開いていたので、ホットしました。

若い販売員に、挨拶をしてすぐさま相談したところ、丁寧にマンドリンを説明してくれたので、助かりました。今日は、情報収集のみであることを伝えて、お礼を述べて楽器店を出ることにしました。

さて、次に目指すところは、”ヴァチカン市国”です。
ヴァチカン市国の郵便局に切手を買い出しに行くことが、その目的です。イタリアの切手と違って、いつも新しいデザインの切手が、扱われていることが多いことに加えて、ここの郵便ポスト≪黄色≫に
入れると、日本には早く着くという風評が、あるからです。

しかし、実際には、ローマ市内の赤色のポストに入れた場合と遜色はないのかも知れない、と想いつつも、ヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂の威容堂堂とした場の空気を味わいたくて、足が向くような気がしないでもありません。

リソルジメント広場から、ヴァチカン広場に入る直前手前に、ベルニーニが作った教皇用の特別通路
≪サン・ピエトロ大聖堂とサンタンジェロ城を行き来できる専用回廊≫が、あってこれを潜るとすぐに左側に、”教皇冠の噴水”を見つけられます。

建築家ピエトロ・ロンバルデイ作〔1927年〕のこの噴水には、途切れなく多くの通行人、とは言っても殆どヴァチカン市国へ来た観光客の人たちですが、今年は、特に暑さがきつかったので、連日冷たい水を求める人で、混みあったに違いありません。

噴水の写真をご覧ください。トップに、教皇の冠をデザイン、その下の柱部分は、大きな鍵が、デザインされています。冠は、4冠、鍵は6つ、そして噴水口は6か所あります。とても使いやすい機能美を備えたお洒落な噴水です。

ローマの有名な噴水は、殆どが16世紀~17世紀のバロック時代に作られて、今日の私たちに感動を伝えてくれていますが、20世紀になってからは、ピエトロ・ロンバルディの噴水が、ほとんどで、かつて10の行政区に作った噴水は、現在ローマ市内の8点だけ残っているとのことです。

 
                「俵つつみ」のように見えるのが、教皇冠のモチーフです。
                中央に鍵がデザインされて、その柄から水が流れます。
                貝殻をモチーフにした水槽が、水を受け止めます。


                
                乾いた咽喉を潤してくれています!次々にペットボトル持参で
                観光客が、立ち寄ってきます。噴水の後ろ側は、ベルニーニが
                作った回廊〔壁の上は、かつての教皇専用の歩道?〕です。
 
                ありがたや 無銭で飲める 天然水         元鷹

                
                                             ※参考本のご紹介 /   御礼をこめて !


               1.   「ローマの泉の物語」 竹山 博英 著   集英社新書 0255 D
               2.   [Scorpi Roma  Le Fontanelle] Luca Leoncini  Massimo Richer
                                                                                                                          Polo Books

   
                
                 

2012年9月8日土曜日

クィリナーレの丘を歩きました

8月末から月初にかけては、夏の終わりを告げてなのでしょうか、ローマには大小の雨が降り、
ひと雨ごとに秋到来のきざしを残しました。季節は、確かに夏から秋へとバトンが渡されたのです。

今日は、秋晴れの下、テルミニ駅に近い”クィリナーレの丘”(正確には、丘と呼ぶよりも地域/エリア)を歩いてみました。先ず目指すは、クィリナーレ地区の象徴的存在である「クィリナーレ宮殿」です。

現在は、大統領官邸になっている(1947年から)のですが、その前は王宮として、1870年ローマが、首都になってからですが、クィリナーレの丘の頂上に以来、凛として建っています。

さらに元を辿れば1574年ときの法王グレゴリオ13世(1572-1585)が、7つの丘の中で最も高い丘(クィリナーレ)に、法王の夏の住居を作ったもの、とガイドブックには説明がされております。

440年にもわたり、その堂々とした建築は、この一帯の象徴的な場所にあって、ときの法王、王、大統領の佇まいとして脈々と歴史を刻んできています。

さて、広場を一周し、秋風を背中に受けて、ヴィア・デル・クィリナーレ通りに足を向けました。
10分も歩かないうちに、「4つの噴水」の交差点に出会いました。真っ直ぐに行けば、「9月20日通り」へ、右へ行けば、ヴィア・ナツォオナーレ方面にでます。

ここまで来たら、久しぶりに「バルベリーニ宮殿」(国立古代美術館)へ行ってみようと、交差点を左側のヴィア・クアットロフォンターナへ歩くことにしました。法王ウルバーノ8世(1623-1644)ファミリーの館として、建築家マデルノ、ボロッミニ、ベルニーニらによって作られたものだそうです。

展示されている絵画等の作品は、12世紀から18世紀までのものだそうですが、元宮殿だった部屋の一つひとつは、歴史と重厚さを感じさせ、またその天井画は見事と言うほかはありません。

カラヴァッジョ、ラファエロらの名画の数々に圧倒されて、バルベリーニ宮殿を後にしました。
バルベリーニ家の紋章は、「蜂が3匹」です。館の至る所に大小の蜂が、デザインされているのを観てきましたが、幸いにも”刺されずに”(?)出てくることが出来ました。



                クィリナーレ宮殿正面を広場後方から撮影しました。
                観光客が、左右から訪れます。右側、建物の間が、
                VIA DEL QUIRINALE です。

                
                VIA DEL QUIRINALE にある宮殿専用出入り口?
                ここには、背の高い宮殿兵が立っています。後ろは
                広い宮殿内庭園です。

    
                PALAZZO BARBERINI 鉄柵越しにバロック調の
                堂々とした宮殿を望みます。映画「ローマの休日」
                のラストシーンを想い出させる門構えです!?

                クィリナーレ バンディエラ棚引く 丘にたつ      元鷹   

                ※バンディエラ (伊 ):  国旗

                ※先にご案内しましたように9月からは、通常の表記に戻りました。
                  これまで2ヶ月間のご協力に御礼申し上げます。