2014年9月26日金曜日

第279話 ピア門 物語り 〔前編〕

前回のタイトルを「今日は9月20日です。」でした。そして、今日は「ピア門物語り〔前編〕」としましたが、先ずこの関係を解いてみたいと思うのです。
即ち、「ピア門」と「9月20日」との関係です。

               ◎ピア門について

場所は、地図を広げてみればローマ市の北東方向であり、テルミニ駅の
やや上方に位置します。

古代ローマにローマ中心部を取り囲んだアウレリアヌス城壁〔270年着工〕には、確か20前後の門〔市内外出入り通行、或は税関の役目か〕が
ありますが、その一つがピア門です。

ピア門のピアとは、この門を造った第224代教皇PIOⅣ世〔1560-1565〕の名から付けられたものと思われます。

ピア門は、1561-1565に造られたものですが、当初の設計は巨匠ミケランジェオ〔1475-1564〕晩年のものです。ですから、門が出来上がった頃には、彼は既にこの世を去っていた訳です。

しかし、幾多の曲折があって彼のデザインが生かされたのは大分の変更後のようです。元々は、ノメンターナ門と呼ばれた門が近隣に在ったそうで、その代替えとして造られたと云われています。

その後、当然何度かの修復改修などが行われて居るはずですが、現在の姿〔外側ファサード〕はヴィルジューノ・ヴィピニャーニによる新古典主義
の設計〔1869〕だそうです。

因みに現在、門の内側〔9月20日通り側〕直ぐ傍には、イギリス大使館が在ります。広い敷地に堂々と近代的建造物が聳えています。

また門の外側にある広場には、1932年ムッソリーニが建てBersaghiere
〔ベルサリエレ:1836年創設のイタリア歩兵隊の兵団の名称;羽根のついた兵隊帽をかぶる〕の記念碑が、ピア門に向って建っています。

以上のような事柄が、ピア門に関してのおおよその知識であります。
さて、次に「9月20日」の意味合いについてです。

 
               ◎9月20日について

前段として、イタリアの近代歴史を多少知っていた方が、理解しやすかと
思われます。1861年3月には、イタリア統合が成り、トリノが首都であった。その4年後1865年5月には、フィレンツエに遷都された。

そして、1871年7月にはローマがイタリア共和国の首都となった、という
歴史の流れがあります。即ち、19世紀〔1815年ー1871年〕のイタリア
統一運動≪RISORGIMENTO・リソルジメント≫の最終章が、この時1870年9月20日だったのであります。

1870年9月19日、イタリア国王軍はついに上記のピア門前に到着した
のでした。教皇ピオⅨ世〔1846-1878〕側と国王軍側との間では、何らかの交渉が行われたものと思われます。

しかし、結局同年9月20日(時刻不詳)、国王軍が3時間の砲撃をし、ローマ教皇領内〔ピア門正面から数十メートル西側の城壁を破り〕へ突入したのでした。ここにイタリア国王軍によるローマ占領が成され、半世紀以上に亘るイタリア統一の戦いにピリオドがここピア門で打たれたのでした。

以上のご説明にて、大まかにには「ピア門」、「9月20日」の関連性を把握
頂けたのではないでしょうか?不思議に歴史は、調べれば調べるほど解からないことが増え、先に進まなくなり困ります。

ピア門内側〔9月20日通り側〕より
            本年9月19日撮影しました


           
1870年9月20日 時間不詳
            国王軍が城壁を破り、ローマ領に突入した
            ピア門歴史館にある戦闘模型
            ピア門の右手から突入している様子が分ります

            
             
               ピア門は 9月20日に 誕生日
                                  元鷹
            

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