2014年9月17日水曜日

第276話 CASA DI GOETHE

先日は念願であった「CASA DI GOETHE」(ゲーテの家)を訪れることが出来ました。以前にコルソ通りをご紹介した際に、「ゲーテの家」の写真(建物のみ)を掲載したことを覚えていらっしゃいますか?

メトロA線FLAMINIOで下車、ポポロ広場を目指して地上へ上がります。
ポポロ門を潜れば、広場がパノラマのように眼に入って参ります。双子教会が中央に、手前に天に聳えるオベリスクとライオンの座像が映ります。

広場の真ん中を横切って、双子教会(カタチがそっくり)の間を走るコルソ通りへ入った。二つ目のブロックに、「CASA DI GOETHE」(ゲーテの家)を見つけることができます。入口両脇には、赤系の旗がコルソ通りに
向かって飾られています。
 

「ゲーテの家」のある1F(日本式2F)までは、階段を使って上がります。会場の入口は、飾りけが余り無くドアは開けたままの状態でした。

入場すると受付には男性係員から、無愛想な表情で「3ユーロ」と告げられたのですが、”スリー・ユーロ”と聞こえずに”フリー・ユーロ”と聞こえてしまって、ひとり苦笑してしまいました。

私を東洋人とみて、イタリア語でなく態々英語で話してくれた訳ですから、
係員のことを無愛想な男性だと云っては、まことに失礼になってしまいます。彼が、言葉の気配りをしてくれたことに感謝すべきなのでしょう。

展示室は、ゆったり感のあるディスプレイがなされてゾクゾクと好奇心が
湧いてくるのを感じました。図書館(7m×7m程度)が配備されていて、
シニョーラが、一人忙しそうに書類の整理をしていたことが印象的でした。

中央には大きめのテーブルが置かれていて、来館者が自由に書き込められる特製の無地ノートが、ボールペンを栞がわりに前日の日付のページに挟まれていた。

パラパラとノートをめくってみれば、やはりドイツ語で書かれている感想が
多く目に止まった。日本人のモノは無いだろうかと、さらにページを手繰って行くと日本語や英語で書いた幾つかの文章を見つけることが出来た。

何れも丁寧な筆記体で日本語や、英語で印象・感想を書き綴っているのが、何とも微笑ましく嬉しかった。どう言うわけか、この日に限って気おくれがして、私はペンをとらずじまいでした。

主な展示品は、ゲーテがローマから国もとの友人へ送った手紙(コピー)、
ローマの風景を描いたスケッチ、手書きの色彩論、絵画、など多岐に亘るコレクションでした。

ところで、ゲーテ(1749-1832)は、1786年~1788年の2年間を
ローマのここコルソ通りに面したアパートを借りて(と思われる)取材、研究活動をしたことになるのですが、それは彼が37歳から39歳に掛けてのことであります。

何処の博物館、美術館でもそうであるように、やはり「ゲーテの家」でも
出入場口では、絵葉書をはじめ参考図書、オブジェなどが並べられていた。

出口から階段を下ると立派な体格をした紳士が、一歩一歩壁に捕まりながら歩いていたのを追い抜きがしらに、”グーテン・ターク”と声をかけると、”グーテン・ターク”と本物のドイツ語が飛んできたのでした。

                               中央の双子教会に挟まれたコルソ通りに
            「ゲーテの家」博物館があります。

           
                               ゲーテが、ドイツの知人へ書いた手紙の写し
            流れるような綺麗な筆記体に感動!

絵画:ローマ郊外で休息するゲーテ
            の写真パネル(右側2/3は隠れてしまった

            
            夢焦れ アルプス越えて コルソ住む

            イタリアへ 光り求めて 地中海 
                                元鷹

                 






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