2015年1月31日土曜日

第316話 話題の”PINSERE”の味

1月も月末ともなればこれほど寒くなるものであります。ローマも然りです。天を仰いでも致し方ありませんから、こんな寒い日にはアツアツの旨いピッツアを食べてみようと、VIA FLAVIAにある話題のお店へ出掛けてみました。

以前から、時々ですが日本人の方にVIA FLAVIAへの道順を尋ねられたことがありました。それは、評判のピッツリアがこのフラヴィア通りに在ったからにほかなりませんでした。

ローマに長く居ても中々美味しいピッツアにありついたことは殆どなく、それほどの興味も持てなかったのでしたが、先週にこのお店の前を歩いた際に成るほどお店から、はみ出るほどのお客さんをみて確信しました。

場所は、日本大使館からも比較的近い処に在ります。
昨年ブログに「ピア門」、「9月20日通り」を何度かアップしましたが、
この”9月20日通り”の直ぐお隣に並行して走っているのが、
VIA FLAVIAです。番地は、98です。電話++39-06-42020924

赤い看板が目印です。お昼前後に行けば、お客様で歩道までその姿を見ることと思いますので、先ずは直ぐに分る筈です。

今日初めて13時前にお店に入りましたが、地元のイタリア人に交じって
日本人観光客が、2組4名いらっしゃった。成程、メディアの力は凄いものであります。ここまで、評判のピッツアを求めて訪ねてくるのですから。

注文は、見本ケース2段目中程に見ることができた「茄子薄切りピッツア」にしてみました。4.50ユーロとリーズナブルな価格でした。”4分お待ち下さい!”とは、レジ係のスタッフからのお声でした。

寒いこともあり持ち帰りにはせずに歩道に沿ったと言いますか、お店の
壁に取り付けられている受け皿タイプの小テーブル(写真参照)に乗せてフーフー言わせて食べました。

「ウン!これはイケるな。」と内心思いつつ一気に食しました。生地パンが美味い。具のナスの薄切り、干しブドウ、松の実などが、程良く全面に掛かったチーズに絡んで、口の中で其々の味を楽しませてくれた。

お店の活気も大いに味に影響しているのかも知れません。
ケース越しに遣り取りするスタッフの声にも張りがあって楽しそうでした。
お客さんの顔にも笑顔がこぼれていました!

そうそう日本の街角の魚屋さん、八百屋さんのようなあの「エーィ、いらっしゃい!」という掛け声が、買物を楽しませてくれるように、ピッツアの味を良くしているに違いないなぁ、と感じつつ満足して店を出ました。

                                  
                                    お店の外で立ち食いする旅行客。
               左側は、注文に並ぶお客さん達です。

                                       
                                 生地はとても柔らかでモチモチ感,
              初めての感動感触でした。

通り名の石版を目印に!左右のどちらかに
            ついています。必ずチェックしましょう!!


            ピッツェリア 教会ほどに 数あれど
            ピンセレの味 金字塔なり

            モチモチと 温ったか生地は 群を抜く

                                  元鷹  
           
            
              

                   
      
    

2015年1月27日火曜日

第315話 メルラーナ通り 後編

(後編)
なるほどレコード店のアッレサンドロさんが教えてくれた小さな本屋さんは沿道に沿って直ぐの所にありました。特に変り映えのしない入口を持ったごく普通の本屋さんという印象でした。

ドアを押して入ってみると初老の店主が、と言いましても私より若い感じでしたから、60歳前でしょうか?常連客と思われるお客の相手をされていましたから、声をかけるタイミングをじっと待っていました。

「初めまして!」と挨拶を交わすと私は直ぐにポケットから、アッレサンドロさんから書いて貰った本の題名のメモ用紙を取り出して、店主に見て頂いたのです。

すると全ての本の在りかを何処に在るか、まるで頭の中に収まっているかのように、踵を返してレジ横の書棚上段から見つけ「エッコラ!(ハイ、こちらです)」と見せてくれたのでした。

それは5秒と掛からないほどの瞬間でしたから、私はついつい驚いてしまいました。どこの買い物でも、普段は待たされておりましたから、店主の動きはローマでは、かつて経験の無かったことであります。

私は、以前から「たなごころ」《掌》という言葉に興味を持っていたのですが
店主の仕事ぶりは、正に”掌・把握術”と呼ぶべき技(わざ)の一端だったのかも知れないと大変共感を得たのであります。

本屋さんの入口には、”LA FENICE”(不死鳥)と店名が掲げられていました。成程、上手い名前を付けたものであります。

最後にご紹介しますのは、人気のパン屋さんです。
恐らくこの通りNO.1の規模と品質を有するお店と言っても良いのでは
無いでしょうか?BAR(バール)も併設しており、この地域では憩いのパン屋さんであります。

この時期は、丁度”カーニヴァレ”と呼んでいるのですが、このシーズンならではのドルチェ(菓子類)を販売しています。特にこのお店では、ヴェニスのイメージをカタチにしてお客さまを楽しませてくれていました。

菓子パンとは思えないほどの巧みさです

カーニヴァレ・シーズンです。
            何処のお菓子屋さんも大忙しです。


            メルラーナ 聖堂挟む 贅沢さ    
                               元鷹
                  

2015年1月26日月曜日

第314話 メルラーナ通り 中編

(中編)

メルラーナ通りの終点には、サン・ジョバンニ・イン・ラテラーノ広場が大きく開けています。この交差点を反対側へ、即ちマンゾーニ側と言えば良いのでしょうか、横断歩道を渡りますと瀟洒なカッフェ・ハウスがあります。

1975年創業とのことで外観が何ともメルヘンティックで興味をそそられました。壁に付けられた花もランプも、そして並べられた入口前の食卓も
まるで絵ハガキのようにさまになっていました。

咽喉も乾いたことなので、このカッフェでお茶でもしようか、などとスタンドに乗ったメニューを眺めていると、中から出てきた店の女性に「ここはお茶とドルチェだけでも大丈夫?」と尋ねてみれば、「勿論ですよ!」との笑顔での一発返事、それじゃと一休みすることにしました。

店内の壁に飾られた数々の写真や年代がかった古ぼけたポスターは
ノスタルジックさに溢れ、ついつい身も心も惹きつけられてしまいました。

注文は、自家製ティラミスとエスプレッソ、そしてガス入水の小ボトルとしました。ティラミスは、程良い甘みで美味しくブオーノ。その代わり水は、ガス無しでしたが、確認せずに既に開けてしまったのでそのまま戴くことに。

壁にあった100年程昔の白黒写真を一つひとつ楽しみました。
10枚ぐらい在ったのですが、1枚を除いて全部何処の場所を撮影したものか、言い当てることできて安堵した。長年のローマ散歩の成果です!?

このカッフェの発見は、今回の収穫のひとつでもあります。次回のチャンスには、改めてプランツォかチェーナを楽しむつもりです。但し、注文した水の種類の確認を忘れないことを肝に銘じたいものです。

〔お店情報〕MERULANAcafe'
                    Via Merulana,138 Roma
                    Tel. ++39-06-7004221
                     e-mail*info@merulana.it

先を急ぎます。5分程出発点方向を歩きますとレコード店がありました。
LP,SPと言いましたか、まだ小学生か中学生のころ(半世紀前)は主流だったDISKの数々が所狭しとばかり並べられており、圧倒されました。

店主はアレッサンドロさんと言って40歳半ばくらいの男性でした。
”こんにちは!「カンツォーネ・ナポリターノ」の曲を探したい。”とご挨拶を
しますと、ツカツカと寄ってこられて、「どうぞ、この場所を見て下さい!」と
親切に案内してくれ、店の雰囲気同様に大変気に入ってしまいました。

結局、CDのカンツォーネ・ナポリターノ特集をお取り置き戴くようにお願いして、月内に購入する約束をしました。また、以前から気になっていた
小説(この通りを題名にした小説ですが。)の所在を伺うと、直ぐ近くの本屋さんに在る筈だ、と自信ありげに話してくれました。

私は、大変嬉しく感謝して本の題名をフルに書いて貰ったメモを大事にして、挨拶もそこそこにして紹介された本屋さんへ向かったのでした。

ショップ情報
       Negozio storico di MUSICA
                  Via Merulana 91     00185   Roma
                   Tel 06-7049-0109 
                 www.millerecords.it
本の題名 「Quer pasticciaccio brutto de via Merulana」
著者                   Carlo Emilio Gadda

(後編に続く)

                                今まで気づかなかったことが不思議に
            思えるほどオシャレな入口周りでした。


            
                                   ハートのデザインのズッケロ(シュガー)は
               新鮮でかつ驚きでした。中々の発想です!  


            
                                   ところ狭しと並べられたSP、LPレコード。
            ジャケットを眺めるだけでも時代を彷彿
            させてくれて楽しい限りです。 

                
             さがしもの 見つけたときの 喜びよ  
                                元鷹 


               

2015年1月24日土曜日

第313話 メルラーナ通り (前編)

ローマはここのところ雨が朝夕に降るパターンが続き、多少なりとも憂鬱な心持ちでおりました。のっけからローマには、似合わないフレーズで恐縮ですが、致し方ありません。

ブログ開始以来、お天気の表現には使ったことのない「憂鬱」ですが、
逆に言い換えれば気分が優れないということはないほど、普段は天気には恵まれているということに尽きます。

さて、そんな”ユウウツ”さを吹き飛ばしてくれるような青空の下、午前は洗濯に関わって、午後からは「メルラーナ通り」の散策を楽しみました。

この通りは、サンタ・マリア・マッジョーレ聖堂から、サン・ジョバンニ・イン・ラテラーノ聖堂まで、真っ直ぐ広く伸びた大通りです。
目測ですが、およそ1.5Km位の距離は有りますでしょうか?

ブランカッチョ劇場、国立東洋美術館、何度もミサに参加した教会などにまるで挟まれるように、ちょっと覗いてみたくなるオシャレなお菓子屋さん、本屋さん、バールなどが並んでいて、何時かじっくり歩いてみたいと思っていた行き先のひとつです。

両側の歩道には、大木の並木が聳え、この街並みに落ち着ついた趣きを醸し出しています。また、通りのほぼ真ん中辺りから突端のサン・ジョバンニ・イン・ラテラーノ聖堂に向かっては緩やかなスロープを描いているのも何故か風情があっていいものです。

結局、「メルラーナ通り」を片道1時間余かけて往復しましたが、立ち寄ったカフェハウス、中古レコード店、小さな本屋さん、そしてパン屋さんは
中編、後編の2回に分けてご紹介致します。

メルラーナ通りは、このエンタシス塔聳える
                サンタ・マリア・マッジョーレ聖堂正面から
                まっ直ぐ広がります。トップにはマリア様?

                 
サン・ジョバンニ・イン・ラテラーノ聖堂
                方面にアングルを定めて青空の下、
                ”ピア-ノ エ ピア-ノ” と歩き出しました。


                
VIA MERULANA と彫られた壁板。
            スタートして直ぐに、歩く方向左側の
            建物に張り付けられた壁板を確認しました。  

            
           
            メルラーナ 寒さ忘れて ワクワクと
 

 
            ご注意を ダマシ絵如く 嘘あまた
                                  元鷹
                    

2015年1月14日水曜日

第312話 トレビの泉

トレビの泉が、修復中であることはもう随分前から人伝手に聞いていたいたものの、まだ自分の眼で見て居なかったものですから、10日の土曜日の午後3時頃に、トレビの泉(噴水)を見にいって参りました。

ローマの数多くの観光地の中でも”トレビの泉”は、ワクワク感を持たせてくれて,見物に来てくれた観光客を楽しませてくれる遺跡のひとつです。

壮大で豪華で見るものを腹から感動させてくれる”トレビの泉”には、幾代もの法王、建築家、住民等の関わりと葛藤、そして情熱とがあったのでした。

掻い摘んで申し上げますと、法王クレメンス12世(在位1730-40)は2度目のコンクールで、4人の建築家の案から、ニコーラ・サルヴィ(1697-1751)の案を採用したと云われています。

トレビの泉の完成は、1762年とのことであり、クレメンス12世もサルヴィも既に世を去ってしまっていたとのことであります。

泉には、昔からの言い伝えが人々の間で広まってりますが、それはコインを肩越しに泉に投げるとローマへ再び戻れる、という嬉しい言伝えです。
皆さんの中にもコインを放った方が、いらっしゃるのではないでしょうか?

この話に成りますと直ぐに想い出されますのは、映画「ローマの休日」のワンシーンですね。王女役のヘップバーンが、近くの美容院でショートカットにして、泉にやって来ます。そして、コインを投げるシーンがありました。

この映画は1953年に作られたそうですが、今から60余年前に撮影された当時の泉の面影と現在のものと、殆ど変っていないのではないでしょうか。

変ったのは、投げられるコインがリラからユーロになったこと、世界からの観光客が増えただけかも知れません。

このトレビの泉のような巨大な泉は余りありませんが、観光客を癒してくれる数多くの噴水が、所々に見られますのもローマならではの楽しさであり、魅力なのであります。

トリトーネが馬を抑えている姿が目前に
            見られるのも修復中ならではのことです。

           
正面右側から続々と見物客が彫刻の前まで
            ブリッジを歩きます。写真中央は、通常は泉
            ですが、現在は水が抜かれています。  

            
修復中の為、臨時に設置した「泉」に
            コインを投げる観光客。


            ああトレビ コイン投げては 夢をみる
                                  元鷹    


2015年1月13日火曜日

第311話 まぼろしの文明国 エトルスコ その1

年初に当り、昨年の課題はローマ7大聖堂巡りでしたが、今年のテーマを一体どうしたものかと思い巡りましたが、果して私には難問ではありますが、「ETRUSCO(エトルスコ)」文明について学習してみようと決めました。

エトルスコ、或はエトルスキー、またはエトルリア人という言葉を何かの機会に耳にされた方もいらっしゃるのではないかと存じます。

手元にある山川出版社発行の「もういちど読む山川世界史」24P.の「都市国家ローマ」の項の説明に書かれています。

但し、5行目「一時北どなりの先住民族エトルリア人の支配を受けたが、(以下略)」とあり、この一語しか登場しておりません。

そんな訳で、イタリアあるいはローマの歴史好事家の人にとりましても、
さぞかし、「エトルスコ」あるいは「エトルリア人」という単語と曖昧な知識しか持ち合わせていないのではないでしょうか?

かく言う私も同類でしかありませんので、これから”まぼろしの文明”を楽しむために博物館を訪ねたり、イタリアには12の都市国家が残されているわけですが、その近郊にある遺跡の町へ出掛けたいと考えています。

ヴィッラ・ジウリア国立エトルスコ博物館

            
博物館内の中庭です。ホッとする空間でした。
 
エトルスコ遺跡が出土した地名マップ
            館内の壁に掛かっていたものです。


            初春や 志し良し エトルスコ 
                    心に残る 夫婦のお棺 
                                元鷹            

2015年1月12日月曜日

第310話 ”ひつじ”がいっぱい !

今年2015年の干支は、羊《未》であります。
この干支も気にすれば気に成るものですが、昔から受け継いできた慣習ですから、気を楽にしておつき合いすれば良いものか、と思っております。

ところで、今年の書初め大会では、この干支である「羊」と「未」の二文字を書いて楽しみました。恒例になった書初め大会も今年は4回となり、
参加者は昨年の半数ほどでしたが、それぞれに楽しく書を楽しみました。

日本文化に通(つう)であるイタリア人のAさんは、羊年であることが甚く嬉しそうで自分の干支の羊を書いてはおおはしゃぎでした。中中、筋が良いようで、ご指導をお願いしたK先生からは随分とお褒め頂いていました。

さて、羊という漢字は、羊を正面からみて、その角と上半身を写した形である、と白川静先生の「常用字解」(平凡社)に説明されております。

また、イタリア語では、PECORA(雌)、MONTONE(雄)と表わします。
羊の乳からつくるチーズは、PECORINOといいます。

ローマ料理のメニューに、子羊肉料理”ABBACHIO AL FORNO”が
あります。願わくば、今年一年間だけでもレストランのメニューから外して
欲しいものであります。如何なものでしょうか?

2015年書初め大会作品集
            「羊」と「未」、そして「みらい」に「春」と
            作品が並びました。

            
書き上がったばかりの作品を乾かしています。
            今年への熱い気持ちを込めて書き込みました。


            書初めを 一年の計 夢乗せて
                               元鷹    

2015年1月8日木曜日

第309話 エピファニアの祝日 1月6日

先日の1月6日(火)は、”EPIFANIA”と呼びますが,祝日でした。
一昨年の1月にもご紹介していますので、是非時間をとってみて戴きたいのですが、今回もこのお話しを進めたいと思います。

一般に毎年12月8日から翌年のエピファニア(1月6日)までのおよそ1カ月間をフェスタ期間と決めているようです。ですから、この期間中は、
クリスマスのデコレーションは、外さずに飾っておくわけですネ。

また、年の瀬の挨拶の言葉も”BUONE FESTE”と複数にすることが、
なるほど!と思われます。”沢山のお祭りを楽しんでネ!”ということです。

大きなフェスタでは、最大のモノと言えますが、”NATALE/クリスマス”(12/25)、翌日の”サン・ステファノ”が続きます。そして、”カポダンノ”新年を迎えます。そしてトリは、この日の”エピファニア”で完結します。

この祝日”エピファニア”は、別名「BEFANA(ベファーナ)」とも呼ばれています。有名なストーリーは、良い子には「甘いお菓子」を、そうでない子には「炭焼菓子」が、用意されると云うことです。

このアレンジをするのが、ベファーナオバさん《魔法使い》なのですが、
この時期には、お菓子屋さん、BARなどでその人形を見つけることができます。この遊び心には、まことに感心してしまいます。

この一連の休みが終了すれば、新学期の始まりです。
家族を大切にするイタリアらしいフェスタ期間は、夫婦・親子の絆が一段と
強く深まるシーズンでもありそうです。

従いまして、休みを取るスタッフが多くなりますから、会社・事務所は当然のようにミニマムでのスタッフで運営となります。

《家族はより強く逞しく、会社はより弱く痩せる》季節なのであります。
トリノ通りENOTECAキッラ・ゴフレッド店内に
飾られていた魔法使い
 

同店のショーケースにて販売されていた”炭焼風のドルチェ”です。
遊びこころ満載のお菓子です。

                                 フェスタ・シーズンのショーウインドー
            トリコロールで飾ったグラスが素敵です。
            ガレリアにある”DAGNINO”です。

            
            ベファーナ 魔法使いに トリまかせ
                                 元鷹

第308話 アッピア・アンチカ街道 その2

ローマの七大聖堂巡りの最終目的地”サン・セバスティアーノ教会”を見学した後は、直ぐ近くに見えた”チェチリア・メテッラの墓”を目指しました。
その距離は、およそ300m位だったでしょうか。

いつか見てみようと憧れを持っていた見学地でしたので、訪ねてみれば
やっぱり「来て良かった!」と安堵の念に駆られます。そんな意味からも、
いってみたいと思いつつ訪れていない憧れの地は、どれだけ有るものか、
計り知れません。


チェチリア・メテッラの墓
チェチリアはメテルス(前69年のコンスル)の娘で、カエサルと同時代の
大富豪・クラッススの妻だったと思われる、と云うことです。
 
円錐形の墓だったのだろうか?敷地内から見上げるカタチでカメラを空に向けて撮影したものです。建物自体が博物館の役割をしていた。
 
やっと来た チェチリアの墓 円錐形
                    元鷹
 

第307話 アッピア・アンチカ街道 その1

昨日6日は、節気の上で「寒の入り」(小寒)でしたが流石に寒い日が続くようになりました。それでもローマは、雨も雪もなく、観光客の皆さんは、異口同音に”温かいですね。”と挨拶を交わしてくれます。

今回は先日アップしました「サン・セバスティアーノ教会」訪問の際に、街道沿いで撮影した風景や建物をご紹介させて頂きます。街道沿いの静けさが、日本まで届くと良いのですが…。


バスを降りた近くの風景です。親切に教会への行き方を教えて頂けたのですが、Y字路ならぬW字路のような通りの中央(人が歩いている方向)
を抜けるように歩きました。

実は、バスを降りたところに、20年前に訪ねたクオ・ヴァディス教会を
見つけたのですが、先を急ぐ必要があった為、立ち寄らずにW字路の中央へ向かいました。

200メートルも歩かないうちに、アッと驚くばかりに珍重にも珍鳥?に出遭うことが出来たのです!”真っ白いハト”でした。尾の部分は少々黒かったのですが。兎に角、純白?のハトは、ローマで初めて観ました。

平和の使者、天国の使い(これは我流ですが)、幸せのシンボル等々の
イメージを発信している白いハトとの出逢いは、お正月早々だけに余計嬉しく想った次第です。
                
 
横から見ると体全部が、純白のようですが、真後ろから見ますと黒が混じった尾っぽなのです。それにしても珍鳥であります。余り人の気配を気にしない様子で、餌探しの為に嘴を地面に突いていました。
暫くの間は、写真のような杉並木を歩きます。ここ道路は、舗装されていましたから、あとから創ったバイパスなのだと思われます。まるでローマから50KMも離れた田舎にでも来てしまったように錯覚してしまいそうです。
”クオ・ヴァディス教会”の正面です。
    
白いハト 飛べよ自由に 弧を描き
                      元鷹

2015年1月7日水曜日

第306話 ローマ七大聖堂巡礼 サン・セバスティアーノ教会

去年は7大聖堂の教会巡りを企画しましたが、結局6聖堂で年を越してしまいました。新年早々は、その積み残した最後の聖堂をご紹介します。

最後となった聖堂は、アッピア・アンチカ街道沿いにあるサン・セバスティアーノ教会です。実は、年末に一度訪問を試みたのですが、余りにも沿線バスが姿を見せなかったものですから、断念してしまいました。

さて、順路はテルミニ駅からB線ピラミデ駅まで参ります。ここから、アッピア街道を走る路線バスNO.118(駅降りた広場にあり)に乗り換えます。

このバスがなかなか如何したものか、客を嫌というほど待たせるのでありますが・・・。ここはじっと我慢します。余談ですがこの「待つ」と云うことは日常茶飯事です。しかしながら、このカベを乗り越えずにはローマの醍醐味は見つけにくいのです。

さて、教会の説明をとガイドブックをひっくり返してはページを捲るのですが中々分り易い文章に当らずに時間ばかり経過してしまいました。
時代は、皇帝ディオクレティアーノ時代(在位284~305)に遡ります。

キリストの使徒、聖ペトロと聖パオロの遺体は、それぞれの殉教地に運ばれる前、一旦ここにおさめられ、209年に殉教したサン・セバスティアーノ(ローマの兵工)の遺体もここにおさめられた。

その墓地の近くに4世紀半教会がたてられましたが、破壊され、その後17世紀に枢機卿シピオーネ・ボルゲーゼの命で修復され現在に至っている。

教会の地下には、カタコンベ(もともとギリシア語のアド・カタクンバス〔洞穴の近くの意〕・キリスト教徒、異教徒らの墓)があります。
ただ今回、私は潜らずに教会を後にしました。

                               サン・セバスティアーノ教会正面
            一番右側がカタコンベ入口です。

            
横たわるサン・セバスティアーノ(大理石)。
            ベルニーニ原案による彫刻と思われる。

            

            やっと来た セバスティアーノ 三島夢
                                元鷹

                                   
                  

2015年1月1日木曜日

第305話 本年も宜しくお願い致します。

”ROMAの麗雅都だより”ご愛読の皆さまへ

旧年中はご愛読を賜りまして厚く御礼を申し上げます。
さて、新年のご挨拶をイタリア共和国ローマ県から
謹んで申し上げます。

日本との時差は、冬時間ですから丁度8時間ございます。
ローマは、ほぼ午前10時になろうとしています。

ローマは、寒さを感じるものの大きな太陽の日差しを頂き
穏やかな元旦の朝を迎えることができました。

一年の計は元旦にあり、と申します。
私は、今朝早く起きまして日本から持ち込んだ博文社製の
当用日記を開けて年頭所感を書きこんでみたところです。

今年の目標が、三日坊主で終わらないように
精々一歩一歩駒を進めてみるつもりでございます。

本年が皆さまにとりまして、お健やかな一年と
成りますようにご祈念申し上げております。

   カポダンノ 気持ち引き締め 日記書く

2015年 元旦

元鷹 氣涯

第304話 七大聖堂巡礼 サン・ピエトロ大聖堂

 
いよいよ七大聖堂巡礼の旅は大詰めとなりました。昨年(H26)は、これまで五大聖堂を訪ねて、ご紹介して参りました。

1.サン・ロレンツォ・フォーリ・レ・ムーラ聖堂
  〔呼称はいくつかありますが、ここでは聖堂とします〕
 
2.サンタ・マリア・マッジョーレ聖堂
3.サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ聖堂
4.サンタ・クローチェ・イン・ジェルザレンオ聖堂
5.サン・パオロ・フオリ・レ・ムーラ聖堂

そして、今回第304話では、サン・ピエトロ大聖堂〔以下、単に聖堂と
いいます〕となります。

サン・ピエトロ聖堂は、ローマに来てからこの方、数えられないほどの回数を見ているわけですが、それでも聖堂の中に入ったのは数えるほどです。

また、聖堂にまつわるガイドブックの類も数多く読んでいるにも関わらず、
全くと言って良いほどに系統的に覚えていないのです。なかなか飲み込めないで居るのです。

お恥ずかしながら初めて聖堂を見て、「大きい、凄い、立派だ。」と感じた頃と余り変わらないのです。ただ驚いてばかり居るだけなのです。

そんな訳でアレヤコレヤ頭を巡らしてみたところ、書棚からコンパクトにかつポイントを言い当てて、聖堂を説明してくれる小冊子から、力を借りて引用することに致します。ご容赦願います。

引用文

カトリック教会の総本山であるサン・ピエトロ寺院はヴァチカン市国に所在し、世界最大の最も豪華な教会で、これはアルベルティ、ブラマンテ、
ラファエロ、ミケランジェロ等のルネッサンスの巨匠、あるいはジャコモ・デッラ・ポルタほか多くのバロック建築家の手を経て前後200年近い歳月を要し、漸く1614年に完成したのであります。その大円蓋《クーポラ》は
直径42米、高さ132.5米の偉容を誇り、ミケランジェロの雄大な構想に
よって設計されたものであります。《以下省略》

如何でしょうか?言い得て妙とはこのような文章のことを指すのではないか、と肝に銘じております。これは、在イタリア大使館が作られた「ローマ案内」(H3年9月)から、引用させて頂いたものですが、流石に簡潔かつ
的を得た内容を持っていると思いました。

さて、繰り返しに成りますが、サン・ピエトロ大聖堂は人智を超えた人間の
なせる技か思う藝術が縦横無尽に張り巡らされていて、凡人には想像すら及ばない宗教と科学が詰まった建造物である、と愚見するものであります。

あたかも2000年有余のカソリック世界の歴史と伝統が、経糸と横糸となって、キリスト文明と文化を織りなしたタピストリーのように大聖堂を支えているのであります。聖堂の内では、言葉にならない崇高な精神性を
感じるのです。

従って、宗教感覚に貧しい私などにこの大聖堂を物語ること自体が、恐れ多いことであり、所詮無理な話しなのだと、考えざるを得ないのです。

決して己を卑下するものではありません。ただただ、大聖堂が人間技であることを受容することが出来ない自分に苛立ちを覚え、その理解を超えた建造物や置かれた彫刻などの藝術の至高性と偉容性が驚異に感じる次第なのであります。


 
 
聖堂第一礼拝堂にある
ミケランジェロのピエタ像
 
聖堂一番奥にあるベルニーニが創った
ドームの4本のねじれ柱
 
 
12月25日正午に法王フランチェスコ
              が姿を現す聖堂正面のバルコニー

              
                巡礼や 天国の鍵 今ここに
                                元鷹