2015年8月22日土曜日

第382話 誰も振り向かないオベリスク その2

さて、続きます。その前に、タイトルの「誰も・・・」は、少しオーバーな気がしますが、何せ土地柄《一般的には、通行しない場所と言えます》なのか、広場全体から受ける第一印象の暗さ《灌木に囲まれている》なのでしょうか?足を止めて、じっくりと見つめたり、写真を撮る観光客は少ないようです。

先ずは、「ドーガリ」とは何なのでしょう?
実は、我が家の小さな本棚には、世界地図も世界史の書物《山川の本のみ》も無く、正確には調べることが出来ませんでした。

WEBでも探しましたが、ピッタリとヒットが無く、詳細不明?状態です。
19世紀には存在したエチオピア〔帝国〕の都市(町)の名前であるようですが。ハッキリしませんでした。解かり次第、追加したいと思います。

さて、この”ドーガリ”では、1887年にイタリア王国とエチオピア帝国との戦いがあった歴史が残っている様子。

この戦いで戦死したイタリア軍人548人の犠牲者を追悼する為に、テルミニ駅前は五百人広場と命名され、近くには、慰霊碑(これが写真に見るものです)が建てられたそうです。

正確な年代を調べられませんでしたが、1924年の広場改修時には、このオベリスクは現在の三角形の広場(公園?)に移設されたと云われています。そして、直ぐ傍にヂオクレツィアーノ浴場跡が在ることによって、通常”テルメ・オベリスク”とも呼ばれるそうです。

しかし、このオベリスクが建設された正確な年月を知りたいものです。
そして、創られたエピソードなどをもっと見つけ出したいものだと願っています。何故なら、凛として天に向かっているあのオベリスクには、不思議な魅力、否、魔力みたいなものを感じているからです。

そして、残念ながらと言いますか、他のローマの名所旧跡に聳えているオベリスクと違って、「誰も振り向かない”オベリスク”」ではあります。

因みにローマには、現在13本のオベリスクが建っているそうです。
私が、自分で眼で確かめられたものは、数えてみたら10本のオベリスクでした。

殆どのオベリスクは、古代ローマ時代にいろいろな皇帝が、エジプトから船で運んで来たものだそうですが、一体どのように海を渡ってきたのか、知りたいものです。


孤高な姿が、私を惹きつけます。
               この周辺は、危険を感じさせる人が
               寝泊まりしています。要注意スポット!!


                   
トップのステッラ(☆)は、デォクレティアーノ
               浴場跡も方向を見つめています。
               象形文字もくっきりと分ります。

               オベリスク ローマの遺跡 噴水と
                      古代の光 晩夏の空に
                                元鷹
                                                           

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